2017年11月17日 (金)

歴史的思考力について

 どうやら高校で、歴史用語が半減されるかもしれないとのこと。「大学入試で歴史の細かい用語が出題され、高校の授業が暗記中心になっているのは問題だ」からだそう(朝日新聞デジタル版11月16日付)。個人的にはこの改革に大賛成です。日本史も世界史も、覚えることが多すぎて、歴史の流れが分かりにくくなってしまっている。

 そもそも歴史をなぜ学ぶのか?文部科学省によると、世界史は「地理的条件や日本史との関連、歴史的思考力」で、日本史は「主題学習の充実、伝統文化、歴史的思考力を育成」とのこと(ソース)。両者に共通している「歴史的思考力」って何だよ?抽象的でよくわかりませんが、個人的に共感できるのは、「過去の失敗の事実とその原因を知り、同じ間違いを繰り返さないようにするため」という意見です。これから先、私達の社会で大きな問題が起こったとき、過去のケースをサンプルにして、解決策を見つけていくということでしょうか。そう考えると、何年に誰が何したとか、どういう名前の制度であったかなどということは、実に些末なことになります。例えば、「誰が鎌倉幕府を開いたのですか?」というのは大して重要ではなく、「なぜ源頼朝は鎌倉幕府を開いたのですか?」ということの方がよほど重要です。人によって様々な解釈がありますが、一番スタンダードなものは「朝廷から政治権力を奪うため」というもの。鎌倉幕府が成立する以前は、一部の既得権益層(皇族と貴族)だけが政治権力を行使して利益を独占していたため、その既得権益層を排除するために朝廷から政治権力を奪ったということです。この既得権益層とそれを排除しようとする構図、いつの時代のどの国にも起こっていることです。過去のケースをサンプルにして問題を解決していく力を身に付けさせようというのがおそらく、文部科学省の狙いでしょう。

 これからの大学入試、この「歴史的思考力」そのものを問う問題がますます増えることでしょう。「日本の江戸時代の鎖国政策の妥当性について論じた上で、これらかの日本のTPP交渉における方向性を示せ」とか、「過去の歴史的事象から考えて、これからの日本は中国に対してどのように対応していくべきか?」とか、単純だけど考えさせるという問題が増えていくことでしょう。この方が、教える側も学ぶ側も楽しめます。とてもいいことだと思います。

2017年11月16日 (木)

努力について

  「努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している。」かのベートーヴェンの言葉です(てっきり、『はじめの一歩』の鴨川会長のオリジナルの台詞だと思ってました)。勉強にしろスポーツにしろ、努力なしに成功することはできないということでしょう。ただ、この努力という言葉、人によって内容の解釈が大きく異なっています。辞書によれば、「努力」とは「目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。」とのこと。ある人は自分の子供に対し、「寝る間も惜しんで勉強しなさいよ!苦しくても歯を食いしばって、努力しなさいよ!」と仰っていました。努力の定義に従えば、この方の解釈が一番近いのかもしれません。そうなると、私自身は「努力」はできないですね。

 私自身、大学受験のときは、自分では努力したと思っております。ただ、「寝る間を惜しんで」とか「歯を食いしばる」とか、そういう思いは全くしていません。自分がやるべきことをやっていたら、いつの間にか時間が過ぎていた、そういう感覚です。要するに、いつの間にか勉強に没頭していた、ハマっていたという感覚です。なぜハマれたかというと、自分で立てた戦略が自分にとって無理のないものだったからです。疲れたらすぐに休みましたし、眠くなったら眠りましたし、遊びたくなったらすぐに遊びました。仮に当時、眠いのを我慢して勉強していたり、苦しいのを(この場合、脳にかかる負荷が大きい難問でしょうか)我慢して歯を食いしばって勉強したり、遊びを一切シャットアウトしていたら、間違いなく途中で挫折していたと思います。人にはできることとできないことがあります。結果から逆算して本人にとってオーバースペックなことばかりしていたら、間違いなく潰れてしまうでしょう。その時々に自分にできることを少しずつ積み重ねていくことだけです。そういう戦略は、自分で立てなければなりません。

 こう言っては失礼ですが、「寝る間を惜しめ」とか「歯を食いしばれ」とか言っている人ほど、学歴が微妙だったりします。「俺は根性がないから乗り越えられなかった。お前(ら)は俺みたいになるな!やれ!」というのはあまりに説得力に欠けるのではないでしょうか?努力の質は考えたことはあるのでしょうか?子供が興味あるのはありふれた根性論ではなく、「どうやったら壁を乗り越えられるのですか?」ということだけです。

2017年10月 6日 (金)

勝手に期待する人たち

 つい先ほど、ノーベル文学賞を日系イギリス人のカズオ・イシグロさんが受賞したとの報道がありました。イシグロさんのことは全く存じ上げませんでしたが、あの『わたしを離さないで』の原作者とのこと。毎年この賞の発表が近づくたび、「村上春樹さん、今年こそ受賞なるか!」という報道が大々的になされ、発表直前には「ハルキスト」と呼ばれる村上さんの熱狂的ファンや村上さんの高校の同窓生が集まって固唾を飲んで発表を見守る、そして村上さんが選ばれなかったと知るや「はぁ~」とため息をつく、そういうシーンがもう十年ほど続いています。村上さん本人が望んでいるかどうかも分からない賞を勝手に期待して、受賞しなかったと知るや勝手に落胆し、「来年こそは、期待しています!」と勝手に期待する人たち、そしてそれを全国に放送するテレビ、ちょっと理解できない。「あんたら、自分の人生ないの?」と思ってしまう。

 世の中には、子どもに過剰期待をする親がいます。子供が望んでいないのに勝手に子どもの目標を定め(「~校に合格しろ!」「最低でも~大ぐらいは卒業して、一流企業に入れ!」「医者になれ!」「弁護士になれ!」など)、子供が結果を出せないことに対して「なんでこんな簡単な問題も解けないんだ!」と怒ったり落胆したりして子供を傷つける親。そういうことが重なった結果、子どもから「そんなに偉そうに言うなら、お前がこの問題解いてみろ!」「そんなに良い大学に行きたきゃ、自分が勉強して行けばいいやん」「子供にテメーの夢乗せるな!」と反論される羽目になります。親が子供に期待するのは当然、問題なのは、それを子供に押し付けてしまうことです。夢や目標はあくまで本人が決めること、親はそれを支えるべきです。親の期待に応えられる子供もいますが、そうでない子供は気の毒です。

 もっとも、「親は何も口を出すな」と言っているわけではありません。例えば子供が宿題をやっていなかったり、宿題の答えを丸写ししたりしている場合は大いに𠮟ってかまいません。それは、その子が約束を破ったり嘘をついているからです。子供が自分の勉強道具を管理していなかったり、勉強部屋を散らかしまくっている場合も、叱ってかまいません。それは、その子がだらしないからです。要するに、親は子供に対して、人としての最低限の常識やモラルを教えさえすればいいのです。それ以上のことは必要ありません。宿題をやっていなかったり答えを丸写ししている理由が単純にサボリなら叱って遊び道具を処分すればいいですし、理由がその子にとってその勉強のレベルが「キツイ」「これ以上頑張れない」のであれば、無理をさせず、子どもの学習環境のレベルを落とすことです。そこで「甘いこと言うな!根性を出せ!」などと言ってしまうと、子供はグレてしまいます(気の弱い子であればうつ病にかかるか、下手したら自殺しかねません)。その子のレベルに合わないことをさせるというのは、普段全然運動しない人に、「今からフルマラソンしろ!」と言っているのと同じことです。できないものはできない。普段運動しない人でも、「とりあえず、まずは1kmだけ走ってみようか」というところからなら、始められます。基本的にそれと同じことです。

2017年9月20日 (水)

目標はいらない

 私が高1の時、初めての個人面談で、担任から「お前、将来はどこの大学のどの学部に進みたい?」と尋ねられ、当時の私は大学なんて東大か京大ぐらいしか知らなかったし、将来の夢も目標も特になかったことから(とりあえず「たくさん稼げれば何でもいいや」とは思っていました)、「まあ、行けるところに行きたいです」と答えたところ、担任に「お前、それおかしいやろ!目標を定めて、そこに向かって努力していくんやろうが!」と叱られました。どうも担任には、私が本気で勉強しようとしていないと誤解されたようです。私は昔から、目標を定めて頑張るということをしていません。漠然とした目標はありますが、そこに向けてひたすら頑張るというよりも、目の前のことをやっていくという感じです。そうやってコツコツやった結果、最終的に大きな結果につながるというのが私の理想です。勉強に関しても、先のことは考えず、とりあえず学力さえ高めれば、そこにはたくさんの選択肢があるのではないでしょうか?別にこの担任のような「目標を定めて、そこに向かってひたすら頑張る!」という生き方を否定するつもりは毛頭ありませんが、それを押し付けられるのはまっぴら御免です。

 私がこの仕事をするようになってよく目にするのは、高すぎる目標に苦しんでいる子供の姿です。目標が高すぎるために、結果が出せないことで自己嫌悪に陥り、次第に勉強意欲を失っていく姿です。客観的に見て良い変化が生まれていても、高すぎる目標のせいで「こんなんじゃダメだ」と否定してしまいます。また、目標が高すぎるせいで、それ以外の選択肢が価値のないものに思えてしまう危険性もあります。そうなってくると、生きづらくなってきます。これは子供に限らず、大人にも共通しているように思えます。

 以前、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんが「遠くを見ない 明日だけを見つめる」と仰ってました。まさに本質を突いた言葉だと思います。自分を変えるために必要なのは徹底した自己分析です。自分の弱点を分析し、そこを改善すれば結果はおのずとついてきます。そこに目標は要りません。「本質は自分の中にしかない」のです(『弱虫ペダル』金城真護)。

2017年7月27日 (木)

いじめについて

 茨城県取手市で中3女子がいじめを苦に自殺したとされる件で、学校と教育委員会の対応に批判が殺到しています。報道によると、少女がいじめの事実を記載した日記帳や同級生によるいじめの目撃証言があったにもかかわらず、学校と教育委員会はいじめの事実をずっと認めてこなかったとのこと。今回の件も含め、これまでのいじめ自殺報道から明らかなのは、学校や教育委員会は全く頼りにならないということです。

 学校は基本的にいじめに対応できません。いじめは基本的に無形的方法(暴力ではなく、無視や陰口など)によって行われるため、立証がしにくいのに加え、教師は警察と異なり犯罪捜査の素人なので、発覚するのが難しいのです。加えて、いじめの明確な証拠がない段階で下手に加害者を問い詰めようものなら、加害者の親に「証拠もないのに学校にいじめっ子扱いされた!」と教育委員会に訴えられかねません(ろくに躾をしてこなかったくせに、悪知恵だけはつけています)。教師も正直なところ、「日常の激務で手一杯で、いじめ問題にまで手が回せない」というのが本音ではないでしょうか?また、仮にいじめの事実が認められたとしても、日本では加害者の人権ばかりが偏重されているため、加害者に対し厳しい罰を課すことはできません。たとえ義務教育の公立の小・中学校であっても、「いじめをしたら即退学」ぐらい厳しい罰を課さない限り、いじめはなくならないでしょう。

 もし自分の子供がいじめのターゲットにされたら?いじめは発覚しにくいので、親は普段から子どもに対し、「学校で何か嫌なことがあれば、すぐに私達に言うんだよ」ということを徹底させると同時に、なるべく子供の変化に敏感になっておかねばなりません。いじめの疑いが出れば、親はまずは学校に相談し、それでも改善されないようであれば、そのときは学校に行かせないようにするしかありません。今はもう、「勉強に学校ありき」という時代ではありません。学校に行かなくてもネットを活用すればタダでいくらでも勉強できます。

2017年7月 3日 (月)

シンギュラリティを迎えるに当たって

 最近よく話題に上がるシンギュラリティ(人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事)。シンギュラリティによってそれまで人間が担っていた知的労働を人工知能(AI)が代わりに行うようになり、結果、ホワイトカラーの失業者が大量に生まれる、そういう未来予想がよくなされています。先日、NHKで『人工知能 神か悪魔か』という番組が放送されました。将棋ではAIが名人に勝利し、投資会社ではAIが株式売買を行い、韓国の政治ではAIが政策判断を行い、アメリカの司法ではAIが被告人の再犯率を予測して刑期を決定する、もうすでにAIが我々の日常に深く関わってきているのです。AIによって仕事を奪われるホワイトカラーが大量に生まれるでしょうが、それはその仕事を選んだ人の自己責任です。仕事を奪われないようにするには、創造的になるしかありません。AIができるのはあくまで事務処理だけ、何かを創造するのは人間にしかできません。既存の知的労働をAIにどんどんさせ、余った労働力を創造的なものに注げば、人類はより発展できるでしょう。

 では「創造的になるには、どうすればいいんだ?」ということになりますが、結局、勉強するしかないのではないでしょうか?「独創的」とか「個性的」と言われる人はみな、例外なく非常にたくさん勉強しています。新しい発見をした物理学者や化学者はそれまでさんざん物理や化学を勉強していますし、有名な作曲家は例外なくクラシックやらジャズやらあらゆるジャンルの音楽を勉強していますし、有名な画家は美大でたくさん絵を学んでいますし、有名な作家や作詞家はあらゆる古典に通じています。無からは何も生まれません、結局は勉強なんです。ただ、これまでのような「高学歴でさえあれば、高収入が得られる」という図式はもはや成立しません。これからは学歴なんかよりも、子供自身が自分と向き合い、「自分のしたいこと」をなるべく早く見つけて、そこに情熱を注ぎこんでいかなければなりません。

 シンギュラリティを迎えて劇的に変わると予想されるのが医療です。AIにより医療技術が飛躍的に向上し、人間の寿命が100歳を超える未来がそう遠くないそうです。そうなると、勉強に対する姿勢も変えなければなりません。現役か、浪人かなんて区別は全く無意味、何年かかろうが、ゆっくりでもいいから自分の進みたい方向へ進むべきでしょう(ただし、親に経済的に依存できるのは20歳まで)。無理して学力的に合わない学校で頑張る必要もありません。これは子どもに限った話ではなく、例えば、医師を志望していたが挫折し、不本意な道を歩いている、そういう人はまた勉強を始めればいいのです。勉強が苦にならない範囲で。それは結婚してから、あるいは子供を産んでから、あるいは定年退職してから、そこからでも遅いことはありません。なんせ人生100年ですから。

2017年4月19日 (水)

自主退学もあり

 進学校に合格したものの学校のレベルについていけず行き詰まってしまった場合の対処法は主に2つあります。一つは以前に書いた、勉強の難易度を落として、まずは基礎・基本だけを固めるというものです。基本的に私はこの方法で対応しています。この方法だと効果が表れるまでに時間がかかりますが、長期的視点から必要だと判断して行っています。

 もう一つ、もし子供が私立中学に通っている場合、自主退学するという方法もあります。成績は悪いけど学校の授業は分かりやすい、学校生活自体は楽しい、そういう人は、きちんと宿題をこなしている限りは、学校に残るのも良いでしょう。しかし、授業はさっぱりわからない、宿題も全くしない、勉強する気力もない、そういう人はそのままその学校に居続けても学力が上がることはまずありません。それどころか、上位層との学力格差がますます広がり、高3時には悲惨な状態になっています(中学の基本すら理解していないという状態です)。学力だけならまだしも、精神的ストレスから体調を崩し、うつ、ひいては自殺に至るということも十分にあり得ることです。そうなる前に、さっさと自分の学力に合った学校に転入して基礎からやり直すべきです。実際、かつての教え子の中には、本当に素晴らしい才能をもっていたにもかかわらず、学力的にまったく合わない学校で無理をして才能を潰し、結果、本人の望まない学部(しかもFラン)に進学したという人もいます。もちろんこれはその学校が悪いわけではなく、その学校を選んだ(そして居続けた)本人及び保護者の自己責任です。

 「何のために学校があるのか?」それは当然、子供が成長するためにあります。言い換えれば、学校はあくまで子供が成長するためのツールの一つに過ぎません。ゆえに、子供がその学校のカリキュラムに全くついていけず、勉強する意思を失ってしまった場合、さっさとその学校を自主退学させて自分の学力に合った学校に転入させた方が子供のためになります。「使えない道具はさっさと交換する」それだけのことです(あくまで「その子にとって」使えないという意味です)。高校生の場合だと自主退学するのが難しくなりますが(独学で高認を受けるのもありですが)、中学生であればいくらでもやり直しがききます。生徒や保護者からすれば「せっかく有名校に合格したのにもったいない!」と思われるかもしれませんが、合格するために努力してそのレベルまで学力を上げることができたのですから、もったいないなんてことはありません。それに「有名進学校じゃないと有名大学に行けない」というのはただの幻想です。有名大学に合格できた人達、それは本人が頑張ったからです。学校はあくまで生徒に方向性を示す補助役に過ぎません。学校で落ちこぼれた人、それはその方向性が本人に合っていなかっただけのこと。有名進学校に合格できただけの地頭がある子供であれば、方向性さえ合えば、いくらでもやり直しがききます。

2017年2月19日 (日)

お勧めの文学アニメ

 中学受験の国語の問題集などでよく、「『舞姫』の作者を次から選べ。あ・夏目漱石、い・森鴎外…」というような問題が出題されたりします。こんなもん出題して何の意味があるのか甚だ疑問ですし、こんな問題を出題するような学校はやめておいた方がいいと思うのですが、それはともかく、塾から覚えるように宿題に出され、それがテストに出される以上、生徒は覚えないわけにはいきません。「とにかく覚えろ!」「いいから覚えろ!」こう言うのはたいてい男ですが、「Q:『こころ』の作者は?」「A:夏目漱石!」「Q:で、読んでみてどうやった?」「A:読んでないっすw」これでは何の意味もありませんし、人間は物事を機械的に覚えられるものではありません。ここは日本の誇るアニメを見て、簡単なあらすじだけでも理解しておいた方がいいです。以下、お勧めのアニメです。

●日本文学編

・『青い文学シリーズ』(実用度5/5、面白さ3/5)…5年ほど前に読売テレビの深夜に放送されました。太宰治の『人間失格』と『走れメロス』、坂口安吾の『桜の森の満開の下』、夏目漱石の『こころ』、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』と『地獄変』のダイジェスト版です。キャラクター原案は『デスノート』の小畑健さんらが務めています。超有名作品ばかりなので、実用性が極めて高いです。

・『源氏物語千年紀 Genji』(実用度4/5、面白さ2/5)…8年ほど前に関西テレビのノイタミナ枠で放送されました。タイトルの通り、紫式部の『源氏物語』をアニメ化したものです。絵はきれいですがテンポがやや遅く、しかも途中で終わってしまいます(源氏が須磨に流されるあたりまで)。

・『天守物語』(実用度2/5、面白さ2/5)…10年ほど前にノイタミナ枠で放送されました。泉鏡花の『天守物語』をアニメ化したものです。平凡な作品で、全く印象に残っていません。

・『羅生門』(実用度4/5、面白さ5/5)…アニメではなく映画ですが、『世界のクロサワ』こと故・黒澤明監督による1950年の作品で、ヴェネツィア映画祭の金獅子賞という大変権威のある賞を受賞した作品です。タイトルは『羅生門』ですが、内容は芥川龍之介の『藪の中』がメインで、設定だけ『羅生門』といった感じです。白黒映画ですが、映像がとてつもなく美しく、また出演者の演技も全員素晴らしいです。昔の日本の映画界のレベルがどれほど高かったか、それがよくわかります。

●海外文学編

海外文学が出題されることはめったにありませんし、原作自体あまり面白いとは思えないものが多いですが、日本のアニメの技術は素晴らしく、数多くの凡作を名作へと昇華してきました。

・『まんが世界昔ばなし』(実用度5/5、面白さ3/5)…40年くらい前に製作された番組で、5年ほど前にもサンテレビで早朝に再放送されていました。世界中の超有名な話を15分に詰め込んでいます。どちらかと言うと低学年向きの作品です。

・『宝島』(実用度1/5、面白さ5/5)…40年くらい前に製作された、スティーブンソンの『宝島』をアニメ化した作品です。5年ほど前にサンテレビで早朝に再放送されていました。原作はたいして面白くないですが、このアニメは原作を100倍くらい面白くしています。メインキャラで片足が義足のシルバーという海賊が登場しますが、このシルバーが半端なくカッコいいんです。まさに男の中の男、男ならみなシルバーのような男に憧れるでしょう。そしてもう一人、グレーと言う船乗りが登場しますが、このグレーもまたかっこいいんです。このグレー、原作では存在感0のチョイ役なのですが、この作品ではシルバーの好敵手として大活躍しています。カッコいい男たちの生きざまを是非ご覧ください。

・『巌窟王』(実用度1/5、面白さ5/5)…10年くらい前の作品で、デュマの『巌窟王』をアニメ化した作品です。「あなたが今まで見たアニメで一番面白かったのは?」と聞かれて真っ先に思い浮かぶのがこれです。圧倒的な映像美と緻密なストーリーで、あまりの面白さに1日で全話視聴してしまいました。

・『ふしぎの海のナディア』(実用度1/5、面白さ5/5)…私が中学生の頃にNHKで放送されていたアニメです。原案はジュール・ベルヌの『海底2万マイル』なのですが、原作とはかけ離れたストーリーが展開され、最終的には人類の存続をかけた戦いへと発展していきます。この作品の放送後に『アトランティス』というディズニー映画が公開されましたが、その内容や設定がナディアそっくりだったため、「これってナディアのパクリじゃねーの?」とかなり話題になりました。

・『ロミオの青い空』(実用度1/5、面白さ5/5)…懐かしき『ハウス世界名作劇場』の一作品で、リザ・テツナーの『黒い兄弟』というややマイナーな作品が原作です。奴隷として煙突掃除夫として売られてきた少年たちが団結して困難を乗り越えていくという話の流れは原作と同じですが、アニメの方はオリジナル要素が加味され、後半からは主人公ロミオの親友アルフレドによる復讐劇が話の中心になってきます。このアルフレドが世界名作劇場シリーズでも屈指の美少年だったので、女性人気が非常に高かったそうです。

・『家なき子レミ』(実用度1/5、面白さ5/5)…同じく『ハウス世界名作劇場』の一作品で、マロの『家なき子』が原作です。原作とは異なり、レミが女の子です。

・『アニメ三銃士』(実用度1/5、面白さ4/5)…私が小学生の頃にNHKで放送されていたアニメで、原案はデュマの『三銃士』と『鉄仮面』です。アラミスが実は女だったという設定が結構話題になりました。かなり面白い作品ですが、主題歌をのりPが歌っていたため、再放送されることが半永久的になくなりました。

・『蜘蛛巣城』(実用度3/5、面白さ5/5)…アニメではなく映画ですが、『世界のクロサワ』こと故・黒澤明監督による1957年の作品で、シェークスピアの『マクベス』を日本の戦国時代の設定で映像化した作品です。山田五十鈴さんの演技が凄いです。

以下、順次更新予定

2017年1月24日 (火)

中学受験における算数に対する誤解

 以前にも書きましたが、「中学受験では中学・高校の解法を使ってはいけない!」などということは決してありません。中学・高校の解法で解けるのであればそれで十分ですし、実際、中学・高校の解法を子供に教えている保護者の方も多いことでしょう。ただ、では「中学受験で学んだ算数的解法は無駄か?」と言われれば、決してそんなことはありません。コスパで考えれば一つの解法だけに集中した方がいいのでしょうが、一つの問題に対して算数的アプローチと数学的アプローチ、多面的に思考できる人の方が創造性があるのは言うまでもありません。特に算数的解法が役に立つのが数Aです。公立中学から高校に進学した生徒の多くが数Aを苦手としています。その抽象的な内容にとっつきにくさを感じるのは、西高の生徒といえども決して例外ではありません。対して、中学受験を経験した人であれば、数Aの内容は一度は解いたことのある問題ばかり、「ああ、あれね」という感じで、あとは算数的に理解していたものを数学的に理解し直すだけです。実際、公立中からの高校生に数Aの問題を算数的に具体的に説明すると、よく理解してもらえることが多いです。そういう点において、中学受験の算数的解法は無駄どころか、非常に有益です(そもそも全力で頑張ったことに、無駄なことなんて一つもありません)。そういう意味でも、やはり余裕がある人は、小学生時代に中学受験の勉強をしておいた方がいいです。

2017年1月 1日 (日)

『インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで』岡田尊司

 今まで様々な男子生徒を教えてきましたが、成績の悪い男子に共通しているのは、皆ゲームやスマホ(動画)いじりばかりしているという点です。私はその親御さんたちにゲームやスマホを処分するよう伝えますが、ほとんど実行してもらえません。実際のところ、親御さんたちにはゲームの危険性が全く認識されていない印象です。「たかがゲームでしょ?」「勉強の息抜きも必要でしょ?」程度の認識しかないのではないでしょうか?別に子供が自制的に時間を決めてゲームをするのであれば問題ありませんし、ましてやそれで成績が良いのであれば、いくらでもゲームをさせても全く問題ありませんが、実際は成績の悪い生徒ほど親の目を盗んで何時間もゲームやスマホをやっているのが現実です。「子供がゲームやスマホばかりいじって全く勉強しない」それでお悩みの親御さんたちにはぜひ、岡田尊司さんの『インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで』、あるいは『脳内汚染』(こちらは古い版になります)を読んでいただきたい。

 以下、内容を簡単に紹介します。ゲーム(あるいはスマホ)をすると脳内で大量のドーパミン(達成感を味わったり、喜びを感じた時に分泌されるホルモン)が放出され、その量は覚せい剤を使用したときに匹敵するそうです。そのため交感神経が活発になり、夜眠れなくなります。また、ドーパミンの大量放出の結果、ドーパミンの生成に大量のエネルギーが消費されるため(要は「疲れる」ということ)、結果、勉強において注意力や集中力の低下、記憶力が著しく低下します。また、ドーパミンを大量に使用すると、脳に耐性ができてしまい、より多くのドーパミンがないと脳が働かなくなってしまいます(サイコパスと同じ脳の状態です)。要するに、ゲーム以上の刺激のあるものでないと、何をやっても楽しく感じられなくなってしまうのです。そして楽しく感じられない状態が続くことにより、うつや無気力が生じてしまいます。

 これだけゲームの危険性が明確なのに、未だその認識が浸透していないのは、テレビ局に原因があります。ゲーム会社はテレビ局に莫大なCM料を払ってゲームを宣伝します。その結果、テレビ局はスポンサーであるゲーム会社に不利益な情報を流さないように配慮します。マスコミが「カスゴミ」と形容されるゆえんです。

 私の経験上、ゲームばかりしている子供はキレやすく、また集中力が全くないため、授業中ぼーっとしたり、酷い場合は問題を数問解いただけで「だるい」と言ってすぐに寝転がったりします。正直、授業になりませんし、そういう子供の指導はできません。「子供にはゲームをさせますが、成績は上げてくださいね」と言われても、私としては対応のしようがありませんし、家庭内のことまで責任は持てません。子供のためを思うのであれば、まずはゲームとスマホを処分してください。

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