2017年4月19日 (水)

勉強に行き詰まった場合の対処法

 進学校に合格したものの学校のレベルについていけず行き詰まってしまった場合の対処法は主に2つあります。一つはよくある「気合で頑張れ!」「根性を出せ!」という精神論です。これらは主に親や教師が子供にいうセリフですが、親や教師がこう言って実際にうまくいったケースはほとんどないのではないでしょうか?気合や根性には具体性が全くないからです。もう一つは、勉強の難易度を落として、頑張れることだけをやるというものです。基本的に私はこの方法で対応しています。

 更にもう一つ、もし子供が私立中学に通っている場合、自主退学するという方法もあります。成績は悪いけど学校の授業は分かりやすい、学校生活自体は楽しい、そういう人は、きちんと宿題をこなしている限りは、学校に残るのも良いでしょう。しかし、授業はさっぱりわからない、宿題も全くしない、勉強する気力もない、そういう人はそのままその学校に居続けても学力が上がることはまずありません。それどころか、上位層との学力格差がますます広がり、高3時には悲惨な状態になっています。学力だけならまだしも、精神的ストレスから体調を崩し、うつ、ひいては自殺に至るということも十分にあり得ることです。そうなる前に、さっさと自分の学力に合った学校に転入して基礎からやり直すべきです。

 「何のために学校があるのか?」それは当然、子供が成長するためにあります。言い換えれば、学校はあくまで子供が成長するためのツールの一つに過ぎません。ゆえに、子供がその学校のカリキュラムに全くついていけず、勉強する意思を失ってしまった場合、さっさとその学校を自主退学させて自分の学力に合った学校に転入させた方が子供のためになります。「使えない道具はさっさと交換する」それだけのことです。高校生の場合だと自主退学するのが難しくなりますが(独学で高認を受けるのもありですが)、中学生ならばいくらでもやり直せます。生徒や保護者からすれば「せっかく有名校に合格したのにもったいない!」と思われるかもしれませんが、合格するために努力してそのレベルまで学力を上げることができたのですから、もったいないなんてことはありません。それに「有名進学校じゃないと有名大学に行けない」というのはただの幻想です。勉強は自分でできますし、自分でしなければなりません。学校はあくまで生徒に方向性を示す補助役に過ぎません。特に有名校に合格できただけの地頭がある子供であれば、環境次第で、どんな大学にでも進学できます。大事なのは勉強に対する気持ちを切らさないことです。

2017年2月19日 (日)

お勧めの文学アニメ

 中学受験の国語の問題集などでよく、「『舞姫』の作者を次から選べ。あ・夏目漱石、い・森鴎外…」というような問題が出題されたりします。こんなもん出題して何の意味があるのか甚だ疑問ですし、こんな問題を出題するような学校はやめておいた方がいいと思うのですが、それはともかく、塾から覚えるように宿題に出され、それがテストに出される以上、生徒は覚えないわけにはいきません。「とにかく覚えろ!」「いいから覚えろ!」こう言うのはたいてい男ですが、「Q:『こころ』の作者は?」「A:夏目漱石!」「Q:で、読んでみてどうやった?」「A:読んでないっすw」これでは何の意味もありませんし、人間は物事を機械的に覚えられるものではありません。ここは日本の誇るアニメを見て、簡単なあらすじだけでも理解しておいた方がいいです。以下、お勧めのアニメです。

●日本文学編

・『青い文学シリーズ』(実用度5/5、面白さ3/5)…5年ほど前に読売テレビの深夜に放送されました。太宰治の『人間失格』と『走れメロス』、坂口安吾の『桜の森の満開の下』、夏目漱石の『こころ』、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』と『地獄変』のダイジェスト版です。キャラクター原案は『デスノート』の小畑健さんらが務めています。超有名作品ばかりなので、実用性が極めて高いです。

・『源氏物語千年紀 Genji』(実用度4/5、面白さ2/5)…8年ほど前に関西テレビのノイタミナ枠で放送されました。タイトルの通り、紫式部の『源氏物語』をアニメ化したものです。絵はきれいですがテンポがやや遅く、しかも途中で終わってしまいます(源氏が須磨に流されるあたりまで)。

・『天守物語』(実用度2/5、面白さ2/5)…10年ほど前にノイタミナ枠で放送されました。泉鏡花の『天守物語』をアニメ化したものです。平凡な作品で、全く印象に残っていません。

・『羅生門』(実用度4/5、面白さ5/5)…アニメではなく映画ですが、『世界のクロサワ』こと故・黒澤明監督による1950年の作品で、ヴェネツィア映画祭の金獅子賞という大変権威のある賞を受賞した作品です。タイトルは『羅生門』ですが、内容は芥川龍之介の『藪の中』がメインで、設定だけ『羅生門』といった感じです。白黒映画ですが、映像がとてつもなく美しく、また出演者の演技も全員素晴らしいです。昔の日本の映画界のレベルがどれほど高かったか、それがよくわかります。

●海外文学編

海外文学が出題されることはめったにありませんし、原作自体あまり面白いとは思えないものが多いですが、日本のアニメの技術は素晴らしく、数多くの名作が生まれてきました。

・『まんが世界昔ばなし』(実用度5/5、面白さ3/5)…40年くらい前に製作された番組で、5年ほど前にもサンテレビで早朝に再放送されていました。世界中の超有名な話を15分に詰め込んでいます。どちらかと言うと低学年向きの作品です。

・『宝島』(実用度1/5、面白さ5/5)…40年くらい前に製作された、スティーブンソンの『宝島』をアニメ化した作品です。5年ほど前にサンテレビで早朝に再放送されていました。原作はたいして面白くないですが、このアニメは原作を100倍くらい面白くしています。メインキャラで片足が義足のシルバーという海賊が登場しますが、このシルバーが半端なくカッコいいんです。まさに男の中の男、男ならみなシルバーのような男に憧れるでしょう。そしてもう一人、グレーと言う船乗りが登場しますが、このグレーもまたかっこいいんです。このグレー、原作では存在感0のチョイ役なのですが、この作品ではシルバーの好敵手として大活躍しています。カッコいい男たちの生きざまを是非ご覧ください。

・『巌窟王』(実用度1/5、面白さ5/5)…10年くらい前の作品で、デュマの『巌窟王』をアニメ化した作品です。「あなたが今まで見たアニメで一番面白かったのは?」と聞かれて真っ先に思い浮かぶのがこれです。圧倒的な映像美と緻密なストーリーで、あまりの面白さに1日で全話視聴してしまいました。

・『ふしぎの海のナディア』(実用度1/5、面白さ5/5)…私が中学生の頃にNHKで放送されていたアニメです。原案はジュール・ベルヌの『海底2万マイル』なのですが、原作とはかけ離れたストーリーが展開され、最終的には人類の存続をかけた戦いへと発展していきます。この作品の放送後に『アトランティス』というディズニー映画が公開されましたが、その内容や設定がナディアそっくりだったため、「これってナディアのパクリじゃねーの?」とかなり話題になりました。

・『ロミオの青い空』(実用度1/5、面白さ5/5)…懐かしき『ハウス世界名作劇場』の一作品で、リザ・テツナーの『黒い兄弟』というややマイナーな作品が原作です。奴隷として煙突掃除夫として売られてきた少年たちが団結して困難を乗り越えていくという話の流れは原作と同じですが、アニメの方はオリジナル要素が加味され、後半からは主人公ロミオの親友アルフレドによる復讐劇が話の中心になってきます。このアルフレドが世界名作劇場シリーズでも屈指の美少年だったので、女性人気が非常に高かったそうです。

・『家なき子レミ』(実用度1/5、面白さ5/5)…同じく『ハウス世界名作劇場』の一作品で、マロの『家なき子』が原作です。原作とは異なり、レミが女の子です。

・『アニメ三銃士』(実用度1/5、面白さ4/5)…私が小学生の頃にNHKで放送されていたアニメで、原案はデュマの『三銃士』と『鉄仮面』です。アラミスが実は女だったという設定が結構話題になりました。かなり面白い作品ですが、主題歌をのりPが歌っていたため、再放送されることが半永久的になくなりました。

・『蜘蛛巣城』(実用度3/5、面白さ5/5)…アニメではなく映画ですが、『世界のクロサワ』こと故・黒澤明監督による1957年の作品で、シェークスピアの『マクベス』を日本の戦国時代の設定で映像化した作品です。山田五十鈴さんの演技が凄いです。

以下、順次更新予定

2017年1月24日 (火)

中学受験における算数に対する誤解

 以前にも書きましたが、「中学受験では中学・高校の解法を使ってはいけない!」などということは決してありません。中学・高校の解法で解けるのであればそれで十分ですし、実際、中学・高校の解法を子供に教えている保護者の方も多いことでしょう。ただ、では「中学受験で学んだ算数的解法は無駄か?」と言われれば、決してそんなことはありません。コスパで考えれば一つの解法だけに集中した方がいいのでしょうが、一つの問題に対して算数的アプローチと数学的アプローチ、多面的に思考できる人の方が創造性があるのは言うまでもありません。特に算数的解法が役に立つのが数Aです。公立中学から高校に進学した生徒の多くが数Aを苦手としています。その抽象的な内容にとっつきにくさを感じるのは、西高の生徒といえども決して例外ではありません。対して、中学受験を経験した人であれば、数Aの内容は一度は解いたことのある問題ばかり、「ああ、あれね」という感じで、あとは算数的に理解していたものを数学的に理解し直すだけです。実際、公立中からの高校生に数Aの問題を算数的に具体的に説明すると、よく理解してもらえることが多いです。そういう点において、中学受験の算数的解法は無駄どころか、非常に有益です(そもそも全力で頑張ったことに、無駄なことなんて一つもありません)。そういう意味でも、やはり余裕がある人は、小学生時代に中学受験の勉強をしておいた方がいいです。

2017年1月 1日 (日)

『インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで』岡田尊司

 今まで様々な男子生徒を教えてきましたが、成績の悪い男子に共通しているのは、皆ゲームやスマホ(動画)いじりばかりしているという点です。私はその親御さんたちにゲームやスマホを処分するよう伝えますが、ほとんど実行してもらえません。実際のところ、親御さんたちにはゲームの危険性が全く認識されていない印象です。「たかがゲームでしょ?」「勉強の息抜きも必要でしょ?」程度の認識しかないのではないでしょうか?別に子供が自制的に時間を決めてゲームをするのであれば問題ありませんし、ましてやそれで成績が良いのであれば、いくらでもゲームをさせても全く問題ありませんが、実際は成績の悪い生徒ほど親の目を盗んで何時間もゲームやスマホをやっているのが現実です。「子供がゲームやスマホばかりいじって全く勉強しない」それでお悩みの親御さんたちにはぜひ、岡田尊司さんの『インターネット・ゲーム依存症 ネトゲからスマホまで』、あるいは『脳内汚染』(こちらは古い版になります)を読んでいただきたい。

 以下、内容を簡単に紹介します。ゲーム(あるいはスマホ)をすると脳内で大量のドーパミン(達成感を味わったり、喜びを感じた時に分泌されるホルモン)が放出され、その量は覚せい剤を使用したときに匹敵するそうです。そのため交感神経が活発になり、夜眠れなくなります。また、ドーパミンの大量放出の結果、ドーパミンの生成に大量のエネルギーが消費されるため(要は「疲れる」ということ)、結果、勉強において注意力や集中力の低下、記憶力が著しく低下します。また、ドーパミンを大量に使用すると、脳に耐性ができてしまい、より多くのドーパミンがないと脳が働かなくなってしまいます(サイコパスと同じ脳の状態です)。要するに、ゲーム以上の刺激のあるものでないと、何をやっても楽しく感じられなくなってしまうのです。そして楽しく感じられない状態が続くことにより、うつや無気力が生じてしまいます。

 これだけゲームの危険性が明確なのに、未だその認識が浸透していないのは、テレビ局に原因があります。ゲーム会社はテレビ局に莫大なCM料を払ってゲームを宣伝します。その結果、テレビ局はスポンサーであるゲーム会社に不利益な情報を流さないように配慮します。マスコミが「カスゴミ」と形容されるゆえんです。

 私の経験上、ゲームばかりしている子供はキレやすく、また集中力が全くないため、授業中ぼーっとしたり、酷い場合は問題を数問解いただけで「だるい」と言ってすぐに寝転がったりします。正直、授業になりませんし、そういう子供の指導はできません。「子供にはゲームをさせますが、成績は上げてくださいね」と言われても、私としては対応のしようがありませんし、家庭内のことまで責任は持てません。子供のためを思うのであれば、まずはゲームとスマホを処分してください。

2016年11月11日 (金)

本について

 以前にも書きましたが、「国語の成績を上げるために」本を読めという意見には反対です。本を読んだからといって国語の問題が解けるようになるわけではありませんし(国語の成績を上げたいならば本を読むよりも文章を書く練習をするべきです)、そもそも本というのは「自分が読みたいから」読むものです。親が「本ぐらい読みなさいよ!」と言ったところで子供が読むはずもありません。「成績を上げるため」という不純な動機が、かえって子供の読書嫌いを加速させます。私自身、古文に漢文にしろ、あるいはクラシック音楽にしろ美術にしろ、ある程度年齢を重ねてようやくその面白さや素晴らしさが少し理解できるようになりましたが、学生時代は全く面白いと思いませんでした。漫画や映画やゲームの方が遥かに面白かったのに加え、学校教育がそれらを強制することがかえって余計に私の興味を遠ざけました。

 実際、本は面白いものです。映画や漫画やゲームは面白いですが情報が一方通行なのに対し、本は自分の想像力を膨らませることができます。実際、どんなに感動した映画でも3回目以降になると感動が薄れますが、本は何回読んでも飽きません。本は読むたびに新たに想像性が掻き立てられるからです。ただ、それは本人が感じることであって、周りが強制することではありません。もし私が友達から「この本、面白かったよ。あんたも読んでみたら?」と言われれば読むかもしれませんが、「役に立つから、読めや!」と言われれば絶対に読みません。

 子どもが興味をもって自分で選んだ本であれば、それがライトノベルであろうがエロ小説であろうが、親は口を出してはいけません。ゲームにはまるよりマシです。親や学校はとにかく子供の将来に役に立ちそうなもの、特に古典を勧めますが(国語の入試問題で作品名と作者名が出題されたりするから)、これは非常にリスクが高いです。自分達と全く価値観の異なる時代の人々の感性と子供の感性が合うはずがありません(実際は古典は「ああ、時代が変わっても人間ってこうだよなあ」という共感を引き出してくれますが、子供には理解しにくいでしょう)。小学生が太宰治の『人間失格』や夏目漱石の『こころ』を読んで、「う~ん、分かるわあ」という方が怖いです。私が高校生の頃、「そろそろ本ぐらい読まないとマズいよな…」と急に思いたって選んだのがページ数の非常に少ないヘミングウェイの『老人と海』、全然面白くなかったですが読み終えることができ、調子に乗った私は「次はもっと大作に挑んでやろう!」とドストエフスキーの『罪と罰』を購入、死ぬほどつまらないうえに文章が難しく全く読み進められず、3日も経たぬうちに断念しました。「役に立つから」とか「そろそろ高校生だから」とか「ドストエフスキー理解できる俺って超カッコいい!」などという不純な理由で読んでも長続きしません。「面白そうだから」「興味があるから」それが一番大事です。ちなみに少し前に、某中学受験塾の模試の国語の問題が小説『聖の青春』(大崎善生)から出題されていました。この小説は、若くして亡くなった天才棋士・村山聖さんの生涯を描いた小説なのですが、その内容があまりに面白かったので早速アマゾンで注文し、一気に読んでしまいました。松山ケンイチさん主演で映画化もされましたが、かなりお勧めです。未見の人は是非。

2016年10月25日 (火)

難易度を下げる

 先日ですが、男子生徒から「はぁ~、何のために勉強するんですかね?」と相談されました。この生徒の悩みもごもっとも、昔とは異なり、生活するのに何不自由ない環境下で、現実社会と切り離されて教育をうけている現状では、「将来のため」「金のため」「生活のため」だと言われても実感が持てないでしょう。若者が社会に出て、そこで初めて社会の厳しさを目の当たりにし、「ああ、もっと勉強しておけばよかった!」と後悔するというのはよくあるパターンですが、逆に言えば、社会に出てみないと勉強の必要性は実感できませんし、親がどれだけ「あんたの将来のためや!」と言ったところで効果はありません。ただ、「もっと勉強しとけばよかった!」と後悔してい人たちは今からでも勉強を始めればいいのですが、大多数はそうしません。やはり人間は本質的に、嫌いなことはしたくないのです。逆に、では勉強のできる人は社会の厳しさを知っているから勉強しているのかと言われれば、決してそうではありません。勉強のできる人は、単にテストでハイスコアをとれることに喜びを感じているからでしょう。勉強もスポーツやゲームと本質は同じですが、事実上学力がその人の評価に直結してしまうから、勉強だけがクローズアップされているに過ぎません。

 中学時代に天才扱いされていた子供が、高校に入って落ちぶれて全く勉強しなくなるというケースは多々ありますが、それはゲームの難易度が上がったせいで、今まで取れていたハイスコアが取れなくなり、「つまんなくなった」からです(それでも女子は最低限の宿題はしますが、男子は宿題すら全くしません)。そういう人たちはどうすればいいのか?ゲームに例えれば簡単で、行き詰まったらまずは少しレベルを落として経験値を稼げばいい、それと同じで、まずはレベルを落として、基本だけやればいいのです。結果を求めるのは先、自己満足でいいんです。なまじ成功体験があると、自分の現状をなかなか受け入れがたいでしょうが、プライドだけ高くても何の役にも立ちません。自分が少しでも楽しめるように持っていける、それもまた能力です。

2016年7月29日 (金)

人権作文について

 毎年中学生用の課題として出される人権作文ですが、「人権」なんて言ったって子供にはぴんと来ないのではないでしょうか?かつては、政府に都合の悪い書物は読むのを禁止され(知る権利の侵害)、身分制度により自分のやりたい職業にもつけず(職業選択の自由の侵害)、好きな相手とも結婚できず(婚姻の自由の侵害)、政府の批判をすれば警察に捕らえられ(表現の自由の侵害)、まともに裁判を受けられず(裁判を受ける権利の侵害)、選挙権すら認められない、そのような時代がどの国にもありました。しかし現在では人権は厚く保障され、人々は何不自由なく生活できるようになりました。そういう現状で、人権の大切さを子供に認識させるのはなかなか難しいことです。

 ただ、子供にも人権の制約がないわけではありません。子供には飲酒や喫煙の自由がありません(「~の自由」は人権のうち「自由権」に含まれます)。しかしこれらを制約するのは子供の健康を守るためであり、その制約には合理的な理由があります(これを「公共の福祉」といいます)。これらの人権は、子供を守るという利益に比べたら、それほど重要な権利ではありません。あるいは、例えば医療ドラマを見て感動した中学生が「よーし、明日から医者として働くぞ!」と思っても医師免許がないので医者として働けません。この場合、医師の免許制度は中学生の「職業選択の自由」を制約していることになりますが、医療知識のない人が患者の治療をしても効果がないどころか、患者が死んでしまうことになるため、この制約には理由があります。しかし、例えば、部活動で試合中にミスをして顧問にビンタされた、こういう場合、その生徒の「身体の自由」は侵害されていることになります。顧問からすれば「生徒を教育する権利(教育権)」の範囲内だ(いわゆる「愛のムチ」)と反論することになるでしょうが、ではこのビンタは教師の「教育権」の範囲内と言えるのか、「身体の自由」この場合「殴られない自由」は顧問の「教育権」により制約されるだけの合理的な根拠があるのか?ビンタが教育権の範囲外であるならば、それは人権侵害になります。あるいは授業中に生徒が教師の質問に答えられないとき、教師から「アホ!」などと罵られたり「こんなんも分からんの?」と小馬鹿にされた場合、こういう発言は教師の「教育権」の範囲内なのか、生徒の「名誉感情」を教師の「教育権」で侵害できるのか?これらの発言が教育権の範囲外であるならば、それは人権侵害になります。あるいは、中学受験を控えた生徒が「学校に行かんと家で勉強したい」と言ったとき、学校が「学校に来て授業を受けろ!」と強制してきた、この場合、生徒の「(自分で)学習する権利」と学校の「教育権」とがぶつかることになりますが、果たして学校の教育権は生徒の自宅学習の権利を制約できるのか、問題となります。あるいはもっと単純な例で、「勉強したくない!」という子供に対して親が「勉強しろ!」と強制することは許されるのか、この場合、子供の「勉強をしない自由」と親の「教育権」が衝突することになりますが、親に教育権の優越を主張できるだけの合理的理由がない限り、それを強制するのは子供の人権侵害になります。今、関西テレビで『ウォーターボーイズ』の再放送がされていますが、生徒達が「学園祭でシンクロ公演をしたい」という主張に対して、学校側が「受験勉強に専念させるため、公演は認めない」と言ってきた場合、このような制約は認められるのか?シンクロ公演をする自由は「表現の自由」に含まれますが、学校側の教育権、この場合、「生徒達の将来ために受験勉強に専念させて良い大学に行かせる」という理由で制約できるのか?

 長々と書きましたが、要するに、人権あるいは人権侵害というのは日常生活のあらゆる場面でいくらでも問題になり得るということです。学校によっては「犯罪被害者の人権について」だの「アイヌ民族の人権問題について」だの、やたらと壮大なテーマが出されたりしますが、そういう日常生活からかけ離れたものでなくても、まずは身近なところから人権意識をつけていった方がいいように思います。

2016年7月 1日 (金)

漢字について

 学力を上げていくうえで漢字は欠かせません。国語の問題で確実に漢字は出題されるうえに、そもそも漢字の意味を知らないと文章を読み進められないからです。漢字は国語の土台であり、そこを避けては国語の成績アップは望めません。なので、何はなくともとりあえず漢字さえ覚えておけば何とかなります。しかし実際のところ、成績の悪い生徒ほど漢字を覚えていません。そこで保護者から「漢字を覚えるにはどうしたらいいですか?」とよく質問されるのですが、前にも申したように書いて覚えるのが間違いないでしょう。ただ、書くことすら「しんどい」といってしない子供もいます。それはもう私の力ではどうすることもできません。ただ、漢字は必ず意味も覚えなければなりません。漢字を覚えるのが嫌と言う子供は、近道をしようとしてろくに意味を調べずに漢字を覚えようとしている印象ですが、漢字の一つ一つの意味を知ると、漢字ほど面白いものはないということがよくわかってきます。

 例えば「商売」と言う熟語に関して。公民の授業でよく生徒に「商売って何?」と質問すると、たいていの生徒は「物を売ること?」と答えます。「じゃあ農家が米作って売っても商売なん?」と質問すると、「うーん、何となく農家は違うんじゃないっすか?」と答えますが、誰もその正確な意味を答えられません。大人でも意外と知らない人が多いし、実は私も大人になるまで知りませんでした。今までこれに答えられた生徒はただ一人、西高の生徒でしたが、ずばり「転売?」と答えてくれました。そう、商売とは転売のことです。他から安く仕入れて他に高く売る、要はピンハネすることが商売なのです(商社にお勤めの方は気を悪くなさらないでください)。算数の問題でよく出題される「原価~円で仕入れて定価~円で売ったときの利益は?」というあれです。中学受験生の教え子はこの問題を解いたときに「(ピンハネなんかしやがって)クソ野郎やな…」と言っていました。そう、小学生ですら「クソ野郎!」と感じるのですから、昔の儒教圏では「士農工商」で商人が一番下に位置付けられ、「商業は賤業」として差別されてきました。中国で長年資本主義が発達しなかったのもそういう儒教的差別意識が強かったからです。そもそも「商」と言う字自体、差別用語でした。商とは昔の中国の殷王朝の生き残りの人々のことで、商は周(殷を倒した王朝)の人々から徹底的に差別されました。土地を持たず、定職に就くことも許されなかったためやむなく転売して生活していったのですが、その結果大儲けして、更に差別されるようになっていきました。そういう「商の連中がやっている売買」だから商売なのです。

 漢字一つでもこれだけ面白い意味があります。別にここまで細かく調べろとは申しませんが、時間はかかりますが、漢字の一つ一つの意味を調べていった方が結局は印象に残りますし、覚えやすいと思います。なので、漢字の問題集は、漢字の意味が載っているものを使用した方がいいです。機械的に字だけ覚えろと言うのも無理な話です。私の授業では、生徒に意味を聞かれたらお答えするようにしています。できるだけ小話を挟んで、興味を持ってもらえるようにしています。

2016年6月10日 (金)

学歴と学力

 著名人はそろって「学歴なんか関係ない!」と仰いますし、私もその意見に賛成です。学歴はあくまでその人の一定の時期の学力を示したものに過ぎませんので、大学時代に遊び呆けてどれだけ学力が落ちようが学歴で評価するのは妥当ではありません。その学力というものも、あくまで事務処理能力の高さに過ぎません。ただ、これを「だから勉強なんてする必要ない!」と曲解して怠ける人が少なからずいます。成功した人は別として、「学歴なんて関係ない!」と言っている人たちは、学歴に代わる評価基準を何か持っているのか、甚だ疑問です。

 学歴は関係ありませんが学力は大いに関係あります。むしろ今は学力そのものが評価されていると言えるでしょう。企業が結局は学歴で採用しているのは、「学歴なんて関係ない!」と言っている人たちが学歴のハンディを覆すチャンスを大いに与えられているにもかかわらず、それをアピールできるものが何もないから、結局は消去法的に学歴で判断されているのでしょう。要するに、「何もない奴よりは、事務処理能力だけでもある奴の方がマシ」ということです。それを「学歴差別だ!」などと言われても、企業からすればいい迷惑です。

 何か自分のやりたいことがあればそれに突き進めばよいですが、そうでないなら勉強することです。どんな道に進もうが、結局やることは本質的に変わりません。練習して壁を越えて、また練習して次の壁を超える、ただひたすらその繰り返しです。そこから逃げた人は、何をやっても逃げます。自分が逃げるのを社会のせいにしながら、死ぬまで逃げ続けます。

志望校を選ぶ前に

 志望校選びに関して。まず大前提として認識しておかなければいけないのは、有名大学に行くためには公立の勉強だけでも十分だということです。公立だと高校時代にかなり頑張らなければなりませんが、中学までに基礎をしっかりと固めておけば何ら問題はありません。公立の勉強もおぼつかないのに有名中学に進学するのはやめておいた方がいいです。子供を進学校に放り込んでおけば、あとは学校が導いてくれると勘違いされているケースが多いですが、実際はむしろ逆で、どの進学校も授業では高いレベルを中心に進めていくので、基本は自己責任でしなければなりません。そういう意味では、子供により強い自主性と自律性が求められます。有名私立に入ったは良いがついていけなくなった、そういう人はその辺りの覚悟が足りていない印象です。

 次に、偏差値が高いからといって必ずしも本人にとって良い学校とは言えないということです。西高なのに獨協にしか受からなかった人もいれば、市姫から神戸に受かる人もいます。白陵なのに兵庫県立大にしか受からなかった人もいれば、淳心から京大に受かる人もいます。学力が逆転するのは、その生徒がその学校に合う・合わないという要素が大きいためです。あくまで学校は本人の成長のための手段に過ぎません。伸びる・伸びないは本人次第です。そういう意味では、判断基準は合格実績ではなく、その人に合うか合わないかで判断すべきです。

 あと、大学の合格実績は現役の数で判断するべきです。一見多くの進学数を誇っているようでも、実際はほとんどが浪人生というケースもあります。あの難関試験を突破した天才児たちなのに、公立よりも1年余分に大学入試対策をしたのに、それでも現役合格者はたったこれだけ、一浪して合格できたのは、元々の地頭の良さと予備校の手柄、その辺りを認識しておかねばなりません。

 個人的には、基本をしっかりとやってくれる学校が良いと思います。0から1を生み出すのは大変ですが、1から2や3を生み出すのは容易です。その辺りをしっかりと理解できている学校なら間違いないでしょう。少なくとも、オーバーワークで子供の才能を潰すような学校はやめておいた方がいいです。

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