« 早稲田大学について | トップページ | 必要のない学校の授業は受けなくてよい »

2013年10月17日 (木)

英語は必要、古文・漢文は教養

 勉強にやる気の出せない子供は多いと思います。私も学生時代は、成績の良い時は点数をとれること自体が楽しいのであまり疑問を持ちませんでしたが、成績が下がってくると「何でこんなことしなきゃいけないんだ?」「何のために勉強しなきゃいけないんだ?」と考え、なかなかやる気が出せませんでした。実際、子供にやる気を出させるのは難しいです。「将来必要だから」と言われても人間は必要に迫られないとやる気は出ません。実際にろくに勉強しないまま就職して学歴差別されたり無教養がバレて恥をかいたりして「ああ、勉強しとけばよかった!」と考えるケースは多いですが、子どもにそれを理解しろというのも実際に就職でもさせない限り無理な話です。学校には定期テストがあるためテスト前だけは嫌々ながらもやる気が起きますが、入試前でもない限り普段からモチベーションを上げて勉強するのは難しいでしょう。なにせ、古文・漢文を覚えたところで今現在の子供の生活には全く役に立たないからです(もちろん、教養としての十分性は大いにあります。あくまで実用性の話です)。実際、中学・高校で学んだ勉強が現在の実生活において役に立っているかというと、全く役に立っていません。学者や研究者などその道の専門家になるには必要ですが、一般人には全く実用性のないものばかりです。

 ただし、英語だけは即使えます。以前なら「これからの国際化社会において、英語は必要になってくる」なんて言われていましたが、現在では英語で会話できないと就職すらできません。絶対に必要です。そして、就職という遠い将来のことでなくても、英語を使えれば現在のネット社会では外国人とチャットしたり会話することもできるし、日本のマスコミが伝えない海外のニュースも読むことができたりもします。パソコンで文字入力したりネットで検索する時もいちいち日本語に変換する必要もなくなります。なので、今現在やる気が起きなくても、せめて英語だけはやった方がいいです。英語は絶対に役に立ちます。私が高校時代に英語だけ成績が良かったのも、英語だけは何となく役に立ちそうだと思ったから自然と勉強できたのです。

 平成30年以降に予定されている大学入試改革の一つとして、英検準1級及びTOEIC780点以上を取るとセンター試験の英語が満点扱いになるそうです。これはいい制度だと思います。普段は勉強せず試験直前期だけ猛烈に頑張る男子生徒にとっては、普段から勉強習慣をつけるいいモチベーションになるでしょう。

 ちなみに、なぜ古文・漢文を勉強するかというと、古文・漢文には必要な人生訓が書かれているからです。例えば兵庫県高校入試の過去問で「木登り名人」の古文が出題されました。どんな話かというと、弟子が木登りをするとき、弟子が一番高い所まで上り詰めた時には名人はアドバイスをせず、弟子がそこから降りて地上まであとわずかの場所まで来た時に「気をつけろよ」とアドバイスをした、そこで弟子が「なぜ一番危ない場所ではアドバイスをくれず、一番安全な場所でアドバイスをくれたんだ?」と質問をしたところ、名人は「一番高い場所では緊張して集中しているから大丈夫だが、地上に近い場所に来ると気が緩むからアドバイスしたんだ」と答えた、という話です。まさに我々大人にも多々当てはまる、人間の真理をついた話です。私も中学時代に柔道部の練習中、自分より弱い奴と当たったとき、「ああ、これで少し休めるな」と気を緩めたときに投げられ、その際右足首を骨折してしまいました。まさにこの話のとおりです。日本は戦後のGHQ政策の一環で政教分離が徹底され、それまで宗教が補充的に果たしていた道徳教育が行われなくなりました。そこで、過去の名作を利用して必要な教養を学ばせているのです。古文・漢文に触れて、「おお、なかなか面白いことが書いているじゃないか!」「なかなか良いことが書いてあるな!」と思えることが大事です。今にして思えば、私も学生時代は点数や成績の事ばかり気にして、勉強そのものを楽しんでいませんでした。大人になって余裕ができて改めて古文・漢文をやってみると、これがなかなか楽しい。学生時代も損得抜きにして、もっと楽しんでやって勉強していればよかったなと思います。

« 早稲田大学について | トップページ | 必要のない学校の授業は受けなくてよい »

勉強法」カテゴリの記事