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2013年11月

2013年11月22日 (金)

高校受験の先を見据えて勉強しよう

 例えば歴史の問題で「645年に何が起きたか?」と問われると、大多数の生徒は「大化の改新」と答えることができます。でも、「645年に起きた大化の改新を説明せよ」と問われると、答えられる生徒数は激減し、答えられた生徒にも「じゃあ何でこんなことが起こったの?」と質問すると答えられる生徒数はさらに減ります。学校のテストで「大化の改新を説明せよ」とストレートに問われることはほとんどありませんので、テストでいい点を取る、ひいては公立高校受験に受かるためにはこのような問題を解く必要はありません。塾のテキストなどで「645年・・・(        )が起きる。」など、日本語のないスッカスカの問題がよく載っていますが、これもそれだけ覚えておけばテストや高校入試の問題を解けるからです。塾のこのようなやり方はある意味合理的といえます。「これさえやっておけば大丈夫!」を謳い文句に、必要最小限の事だけを生徒にさせ、反復回数を増やすことで知識の定着化を図るという方法を否定はしません。高校入試までは。

 しかし、こういう要領だけつかんだ勉強法で進学校に受かった生徒は、高校で苦労する羽目になります。とりわけ現代文で苦労します。「645年=大化の改新」などのように単語だけで覚えた生徒は、ほぼ例外なく文章力が欠如しています。「645年」「中大兄皇子」「中臣鎌足」「蘇我入鹿」など、覚えておくべき知識は覚えているのですが、それをうまく組み合わせて表現できないのです。そして、以前に西高の記事でも書きましたが、高校の教師はそういう「文章の組み立てができる」という前提で授業を進め、テストを作成します。なので、中学から文章力をつける練習をしていない生徒はかなり苦労します。文章力というのは、将来どの分野に進むにしても、長い人生を生きていくうえで最も必要な能力です。本来はもっと低学年から鍛えていかねばならない能力なのですが、高校受験ではそれは必要とされていないのが現状です。

 では、文章力をつけるにはどうすればいいかというと、それはインプットとアウトプットどちらもこなさねばなりません。インプットに必要なのは、教科書をきちんと読むことです。必要なことはすべて教科書に載っています。先ほどの「大化の改新」であれば、「645年、中大兄皇子と中臣鎌足らが中央集権化を目指し、蘇我氏を倒して始めた政治改革~」みたいなことがきちんと載っています。誤解のないように先に申しておけば、教科書を読み込んだからといってテストで点数が取れるわけではありません。点数を取るためには問題集と併用した方が良いのは間違いないです。ただ、上記のようなスッカスカの問題集だけで丸暗記だけをさせられても面白くもなんともなので、やる気を維持するのは難しいでしょう。あくまで教科書での理解を前提にして、そのうえで知識の定着のために問題集を使用すべきです。教科書で「中央集権化」という聞きなれない単語が出てくると、それを調べ、「じゃあ何のために集権化する必要があったんだ?」と疑問を持てば、「当時の中国(唐)の脅威に対抗するため国を一つにまとめる必要があった」ということが分かってきます。調べれば調べるほど興味がわいてきますし、その分知識も増えてきます。興味を持って覚えたことはそうそう忘れません。そうやって得た知識を「実際、覚えているか」確認するために、問題集を解くのです。そして問題集はあくまで過去に出題された問題を取り上げて書籍化したものです。なので、教科書の内容を全てカバーしているわけではありません。問題集至上主義に陥ってしまった場合、問題集に出ていない問題が出題されると解けません。そのためにも、教科書を読まなければいけないのです。私の自作プリントも基本的に教科書から作成しております。また、教科書の文章には、高校の現代文でもそのまま使える単語や表現がたくさん載っています。教科書の表現を参考にすると、上手く表現できるようになります。「テストには出ない」と気にも留めない部分にこそ、実は大いなる価値があるのです。教科書に削る場所はありません。中学生に分かりやすいように削って削って削りまくった結果が教科書なのです。

 そしてインプット以上に大事なのがアウトプットです。インプットした知識を自分の言葉で再構成して表現することです。勉強の知識に限らず、覚えたことは何でも他人に説明することでアウトプット能力を高めることができます。私も授業中に必ず生徒に「~ってどういう意味?」と聞くようにします。たいていの生徒は頭でなんとなく分かっていても、いざ言葉に出そうとするとなかなか出てこないです。些細なことでも、自分の頭で考えることによって自然と文章力が身につくようになります。

2013年11月14日 (木)

必要のない学校の授業は受けなくてよい

 「義務教育」という言葉でよく誤解されがちなのですが、これは「子供には教育をうける義務がある」という意味ではなく、「子供が教育を受けたがった場合、保護者及び国は子供に教育を受けさせる環境を整える義務がある」という意味です。つまり、子供には教育を受ける義務はありません。なので、学校が不登校の生徒に対して「ちゃんと学校に来い!」と命令する権利もないし、授業中に内職(授業中に別の勉強をすること)している生徒に対して「ちゃんと授業聞かんかい!」とキレる権利もありません(もちろん、他の生徒の迷惑になる行為は控えるべきですが)。

 小中高すべての生徒に言えることですが、特に中学受験生の親御さんは、塾のテスト前になると、子供には学校の授業を受けさせずに自宅でテスト勉強させるべきかで悩んだことがある方も少なからずおられると思います。勿論、学校の成績が悪いのであれば学校の授業は受けさせるべきです。しかし、塾でとっくに習っていること、塾よりもはるかにレベルの低いことをわざわざ聞く必要はありません。子供にとって、すでに理解している話、役に立たない話を強制的に聞かされることは拷問以外の何物でもありません。子供にはより高い教育を受ける権利があります。どうでもいい話を無理やり聞かせて時間を浪費させることこそ子供の人権侵害です。中学受験勉強で子供にそれなりの学力がある場合、必要性のない授業を受けさせるべきか悩んでおられる親御さんは悩む必要はありません。受けなくていいです。但し、学校の教師は生徒が不登校になると自身の評価に響くので、何とか理由をつけて学校にこさせようとします。余計な摩擦を避けるため、「病気がち」などの理由を用意しておいた方がいいです。

 これは学校の授業に限らず、塾の授業にも当てはまります。かつて私が教えた生徒ですが、教え始めた時点でその生徒は小5の日能研の下位のクラスでしたが、学校の授業は「受けてもしゃーない」と受けず、日能研の授業も「基本しか教えへん。意味ないわ」といって途中から受けるのをやめ(彼は下位のクラスだったので、白陵・岡白特訓を受講できませんでした)、カリテと模試だけ受けていましたが、白陵に合格しました。彼の親御さんは学校には「生まれつき虚弱体質で喘息が酷い」と説明していました。実際のところ、彼は空手をやっていたので健康そのものでしたが。仮に彼が真面目に必要性のない授業を受け続けていたら、白陵合格は到底無理だったと思います。

 私も高校時代は、授業そのものは欠席しませんでしたが、どうでもいい授業の間はずっと「内職」していました。仮にどうでもいい授業をクソ真面目に聞いていたならば、第一志望の大学に合格できなかったのは間違いないでしょう。ただ、「内職」はバレると怒られるだけではなく内申書にも響いてきますので、そのあたりは自己責任でお願いいたします。

 この点、気の毒なのが現在の公立中学生です。中学受験と異なり、公立高校受験の場合は内申書なる悪しき制度が存在するため、不登校になるとそのまま内申書の点数に響きます。私たちの時代と異なり、現在は入試における内申書の評価配分が大きくなりました。かつてある不登校の生徒を教えていました。成績はそこそこ良かったのですが、内向的で友達が作れず、勉強のストレスと学校での孤独が重なり不登校になってしまいました。学校の担任は自身の評価を下げたくないので、その生徒に対し「とにかく学校に来い」を連呼、あげく「市姫に行きたいなら、これ以上休むと内申書に響く」と脅迫じみたことまで言い出す始末。この生徒は独学でそれなりに勉強できる生徒だったので、学校に行く必要性はあまりありませんでしたが、内申書のために無理して学校に生き続けた結果、症状はさらに酷くなり、勉強すらまともにできない状態になってしまいました。そして学校は何ら責任を取りませんでした(もちろん、この生徒に全く非がなかったわけではありません。辛いことがあるとすぐに逃げ出すところがあり、結局は逃げ続けた結果がツケとなった部分はあります。そしてそれを容認してきた親御さんにも責任があります。ちなみに定期テストを受験しなかった場合、得点は0点扱いになります。なぜか「欠席した場合は平均点扱い」なる根拠のない噂が出回っており、テストに自信がないときは回避しようとする生徒及びそれを容認する親御さんがおられますが、そのような情報は全くのでたらめであるうえ、なにより生徒自身のためにもなりません。テストを受けないと生徒が自分の現状を把握できず、モチベーションが維持できなくなります。)。

 あくまで子供のために学校があるのであり、学校のために子供がいるのではありません。教師の評価のために子供が犠牲になる必要はありません。公立高校に行くだけが選択肢ではありません。姫路市外を含め、私立という選択肢もありますし、学校に行かなくても塾や予備校に通いながら高認(昔でいう大検)を取得して大学受験することも可能です。中には働きながら独学で高認を取得される方もおられます。子供が学校に振り回される必要はありません。必要であれば利用し、不要であれば切り捨てましょう。

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