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2014年10月

2014年10月24日 (金)

「頭がいい」という勘違い

 いわゆる「頭のいい子」は確かにいます。言ったことをすぐに理解できる人です。進学校にいる生徒はたいてい「頭のいい子」です。勉強において頭がいい人は有利です(特に理系科目で)。他の人が時間をかけて理解しなければならないところを短時間で済ますことができるのですから。ただ、そういう頭のいい人が学校で上位にいるかと言えば、必ずしもそうではありません。「頭がいい」というのは、あくまで理解力があるにすぎません。理解力があっても理解したことを復習しなければ点数は取れませんし、暗記ごとをさぼっていても点数は取れません。復習をしたり暗記をしたりするのは「しんどい」ことです。どれだけ頭が良くてもそういうことから逃げている限りは成績は上がりません。しかし「頭のいい」人は中途半端に「頭がいい」せいで、自分の能力を過信しています。一度説明した問題を復習しようとすると「自分でできますから」と言い、「そんなことより、まずは宿題をしないといけない」と次に進もうとします。英単語のテストをしようとすると、「覚えるだけですから自分でできますよ」と言ってしません。ところがいざテストを受けてみると、同じ問題を間違えていたり単語を覚えていなかったりします。結局、彼らは自分で「やっておきますよ」と言っておきながら、やっていなかったのです。しんどいから。

 要するに、勉強において「頭がいい」ということに大した価値はないということです。「頭がいい」ことよりも「真面目」であることの方がはるかに価値があります。べたですが、ウサギとカメがそのいい例です。真面目な子は人の言うことを素直に聞きますし、自分の力を過信していません。なので確実に前に進みます。どんな分野でも真面目な人が最後は勝つのです。

2014年10月23日 (木)

公民各論 法律についての誤解

 先日、ある公立中学生の公民の授業中のことですが、生徒が「法律がなければ世の中犯罪者だらけですよね。」と言いました。私「誰がそんなとんでもないこと言うたん?」生徒「いや、前に行ってた塾の社会の先生が言うてましたよ。『法律がなければ、世の中犯罪者だらけや。だから法律があるんや。』って」。この生徒が以前に通っていた塾は、姫路で最大手の有名な塾です。こんなとんでもないこと言うからには、その講師はバイトか、あるいは新人かなのかと思いきや、結構なベテラン講師だそうです。別の生徒達にも(高校生含む)「法律は何のためにあるでしょう?」と質問すると、結構な割合で「犯罪を防ぐため」と答えます。さすがに学校の教師でこんなことをいう人はいないとは思いますが、塾にはどうもこういうトンデモ講師が結構な割合でいるようです。

 結論から言えば、法律は国家権力を制限するためにあります。法律がなければ犯罪者だらけというのはメチャクチャな理屈です。法律があってもそれを実際に取り締まる者(この場合、警察、検察、裁判所になります)がいないと実効性はありません。簡単なことです。現金100万円持っている人が強盗犯に向かって、「強盗は刑法で禁止されている。だからやめなさい。」といったところで聞くわけありません。犯罪素養のある人が強盗の実行に着手しないのは、強盗しても捕まる可能性が高いからです。110番すると警察が犯罪者を捕まえてくれるから犯罪を防げるのです。あるいは犯罪が起こってしまっても、警察は被害者から事情聴取をし、捜査をして犯人を逮捕し、検察官が起訴して裁判所がしかるべき罰を与える、これら国家権力が犯罪者を捕まえて裁いてくれるから、国家権力に対する信用があるから、犯罪素養のある人は「やっても捕まる」と考え、犯罪行為に至らないのです。日本は先進国の中でも比較的犯罪が少ないですが、それは犯罪検挙率が高いからです(しかしここ10年で検挙率は急激に低下しています。)。悪いことをすれば国家がきちんと裁いてくれる、その信用があるから安全なのです。例えばロサンゼルスや南アフリカなどは犯罪率が異常に高いですが、じゃあこれらの州や国に法律がないかといえば、そんなことはありません。むしろ立派な法律があります。しかし、犯罪検挙率が低いため、犯罪者は「やってもばれない」と考えて犯罪に走るのです(勿論、他にも諸々の要因はありますが、ここでは割愛します)。つまり、あくまで犯罪を防ぐのは国家権力であるということです。

 では、なんのために法律があると言うと、法律は国家権力を制限するためにあります。国家は権力を持っています。権力は(合法的に)人を逮捕し監禁し、抵抗する者には暴力を加え、牢屋にぶち込むことができます。犯罪者や外敵から国民を守るためには権力は必要です。しかし、歴史的に明らかなように、権力というものは往々にして暴走しやすくなります。例えば法律のない世界で、公務員の給料を上げるために政府が「明日から所得税を80%にします。」と発表したとすれば、大多数の労働者は「ふざけるな!」となるでしょう。しかし相手は国家権力です。政府は税務署員や警察を使って無理やりあなたの財産を奪ってきます。裁判所に訴えても、法律、つまりルールがないため、裁判所はどうとでも判決を下すことができます。裁判官の給料を決めるのは政府なので、裁判官は政府に有利な判決を下します。あるいは、例えばある人が強盗殺人を犯したとしても、その父親が有力者で政府に大金を払った結果、無罪になります(いわゆる「免罪符」です)。一方、貧乏人の強盗殺人犯は金がないため、死刑にされます。こういう不公平や不条理に対し「こういうやり方はおかしい!」と声を上げると、政府は反逆分子とみなして逮捕し牢獄にぶち込みます。犯罪を定義した法律がないから、どんな行為でも犯罪にできます。こうして政府に都合の悪い人々はどんどん牢獄に入れられます(「天安門事件」や「文化大革命」など。最近では香港の民主化デモやウイグル・チベットへの弾圧など。みんな中国ですね。中国にも一応法律はありますが、有名無実化しています。)。これらは実際にあったことです。つまり、法律がなければ、権力側はやりたい放題だというわけです。こうして力のあるもの同士が協力し合い、自分たちの都合のようように国を動かした結果、富は偏在化し、完全な不平等社会が生まれます。かつてルイ14世は「朕は国家なり」と言いました。つまり、「俺様が権力だ」ということです。そこに法はありません。王様が自由にルールを決められたのです。だから豪華なヴェルサイユ宮殿を立てるために国民から税金をむしり取り、戦争ばかりして財政状況を悪化させることも許されました。国民は逆らったら殺されるから反対の声を上げることもできません。しかしその我慢が限界に達し、またロック・モンテスキュー・ルソーなどの啓蒙思想家の影響で、市民による革命が起きました。1688年、イギリスで名誉革命が起こり、権利章典が制定されました。1776年、アメリカで独立戦争が起こり、合衆国憲法が制定されました。1789年、フランスでフランス革命が起こり、人権宣言が発表されました。彼ら市民は何と戦ったかというと、それは国家権力です。彼らは国家権力に勝利して、権利章典、合衆国憲法、人権宣言を制定しました。これらはすべて法です。その内容は一言でいえば、「国(権力)は、この法を犯してはならない」というものです。つまり法とは、その権力に制限をかけるためにあるのです。個々の犯罪者を取り締まるために法があるのではなく、その取り締まる側を取り締まるために存在するのです。刑事訴訟法で裁判の細かいルールが定めてあるのは、警察の行き過ぎた捜査(詳しくは足利事件や袴田事件をご参照ください。)や裁判所の軽はずみな判断を防ぐためにあるのです。先程の例であれば、国民の財産を守るために税法があり、「所得税は~%まで」と制限をかけているのです。裁判で不公平を生じさせないために、贈収賄行為が刑法で規制されています。国のやり方を自由に批評させるために、憲法21条で表現の自由及び知る権利が保障されており、国家権力は「公共の福祉」(憲法12条・13条など)」に反しない限り、それを制限することができません。また、刑法には「~をした者は、~年以上の懲役に処する。」というたくさんの規定が置かれていますが、これは国家権力が好き勝手に国民を逮捕して裁判にかけることがないように、法律によって国家権力が逮捕して裁判できる機会を限定しているのです。逆に言えば、基本的には刑法に書かれている行為以外の行為は何をやっても自由ということです。

 ちなみに、憲法と法律の違いがよく分かっていない人も結構いるので説明しておきます。法律を作っているのは我々が選挙で選んだ代表者です。日本でいえば国会議員や地方議員です。彼らが法律(地方は条例)を作っています。彼らが法律を作り、権力を制限します。しかしこのシステムには欠陥があります。その代表者たちが権力側にすり寄って、権力者に都合のよい法律ばかりを作る可能性があるのです。先程の例でいえば、「所得税は一律80%とする。」「強盗殺人犯は国に1億円支払えば無罪とする。」という法律を作ってしう可能性があるのです。権力側からすれば「お前らの選んだ代表者が作った法律なんだから、問題ないだろ?」というところです。これはマズいということで、「法律によっても犯せないルール」を定めました。それが憲法です。不条理な法律も、それが憲法に反すれば無効というルールを定めたのです(これを違憲審査制といいます)。判断するのは裁判所です。こうして国家権力を権力側(行政)、代表者による議会(立法)、裁判所(司法)に分けて、それぞれ監視させることで、国民の自由を守っているのです(これを三権分立といいます。)。法律と憲法という二段構造により、権力から国民の自由を国家権力から守っているのです。

 これで「法律がなければ世の中犯罪者だらけ」という理屈がいかにおかしいかということが理解できたかと思います。こういう嘘を平気で言う講師は、将来子供が恥をかくということに対する責任感が全くありません。そのためにも、やはりしっかりと教科書を読むことをお勧めします。教科書は高い教養のある人たちが子供に向けて推敲に推敲を重ね、検定にもパスした末に出版されたものです。教科書に勝るテキストはありません。

2014年10月11日 (土)

難関私立の落とし穴

 中高一貫の難関私立校に入学し、そのカリキュラムに従って有名大学に進学できる人もいれば、全くカリキュラムについていけず、浪人してやっと中堅レベルの大学に行く人もいます。後者のような落ちこぼれの生徒ですが、全く課題をしないような不真面目な人は論外として、学校から出された課題は一応はこなし、テスト前にもそれなりに勉強しているにもかかわらず、成績がいまいちな人もいます。あの難関試験を突破した天才たちがなぜこんなことになるのか?私立には落とし穴があります。その辺りをしっかりと認識しておかねばなりません。

①カリキュラムが早すぎる&課題が多すぎる…私立は公立よりもかなり速いスピードでカリキュラムが進められます。高校の単元だと上位公立高校とそれほどスピードは変わりませんが、中学時代は公立中学よりも難しい内容を、公立の2倍近い速度でカリキュラムが進められます。それに伴い、学校から大量の課題が課されるため、結果、復習にかける時間が少なくなり、理解が不十分なまま次の単元に進む羽目になります。理解を不十分にしたところに戻って固めようにも、カリキュラムが先にどんどん進んでしまうため、また、大量の宿題に時間がとられるため、戻れません。こうしてドツボにはまっていきます。

②基本を軽視している…これは全ての私立に当てはまることではありませんが、学校によっては有名大学に合格させるという意識が強いためか、授業では基礎や基本にあまり力を入れず、大量の宿題で基礎と基本を固めさせ、授業では演習をメインにしているところもあります。私の下に依頼に来る、成績の芳しくない私立の生徒は、驚くほど基本が理解できていません。そういう生徒に基本を説明してみると、真綿が水を吸うように吸収してくれます。自分で教科書を読んでどんどん勉強をするような子供は別として、実際には基本から教えて欲しいという生徒の方が多い印象です。

③運動時間が少なすぎる…ほとんどの私立はスポーツがあまり盛んではなく、「勉強の妨げにならない範囲で」短時間しか部活動をさせません。これは極めて愚かしいことです。本来、人間は勉強だけをするように造られていません。運動をしなければ体力はつきませんし、ストレスも発散できませんし、集中力もつきません。勉強だけをしていると必ずおかしくなります。成績を上げさせたければもっともっと運動をさせるべきです。

④社会と理科を軽視している・・・「五教科平等」の公立とは異なり、私立では国語・数学・英語を主要三教科として扱っています(個人的には「そもそも英語って主要か?」と思います。英語は実用性が高い反面、ただのコミュニケーションツールにすぎません。学問としては本質的ではないという印象です)。たとえ学校側に社会と理科を軽視する意図はなくとも、カリキュラム自体が主要三教科を重視している結果、生徒達に社会と理科を主要三教科より下に見る意識を芽生えさせてしまいます。私立の生徒の社会・理科に対する意識は、公立の生徒の副教科(保健、技術・家庭、美術、音楽)に対する意識に近いものがあります。「社会と理科は後で何とかなる、とりあえず主要三教科を」などと思っていたらとんでもない大間違いです。「社会なんて覚えるだけ」そう言って、結局最後まで覚えられないままの生徒は少なくありません。

 以上述べたことはあくまで相対的なものであり、成績の良い人にはまったく当てはまらないことばかりでしょう。対して成績の悪い人は、自己分析をしっかりしなければなりません。今やるべきことを絞り、たとえそれが学校のカリキュラムに合っていなくとも、それを優先させるべきです。いろいろと試してみて、それでもついていけないようであれば、その学校に合わなかったのです。自分のレベルにあった学校に転校するべきです。

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