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2016年4月

2016年4月29日 (金)

中学受験の本質

 中学生用の問題集を見ると、どの科目であれ、中学受験の問題と全く同じ問題が多々あるのに気づきます。社会と理科は中学とほぼ同じ、国語も古典がないだけで内容はほぼ同じです。算数に関しては、中学や高校の範囲を算数を使って解くのが一般的ですが、「中学・高校の解法(数学)を使ってはいけない!」わけではありません。昔の塾は「使ってはいけない!」「使うと0点になりますよ!」と平気で嘘をついていましたが、インターネットの普及によって「中学・高校の解法(数学)を使っても全く問題なかった」という事実が広まり始めると、「禁止されているわけではないですけど…」と態度を変えました。塾からすれば、「使ってはダメ!」としておかないと経営に響いたからでしょう。数学を学びたいのであれば、中学生向けや高校生向けの塾に行けば済む話だからです。もっとも、数学が算数より優れているというわけではありません。抽象度の高い数学よりも、具体性のある算数の方が分かりやすいという子供の方が一般的でしょう。要は子どもにとって使いやすい方を使えばいいだけの話です。ただ、嘘はいただけませんね。

 昔は、現在のような中学受験専門塾はありませんでした。そんな時代に、中学や高校で習う範囲から出題される問題に、当時の子供達はどうやって対応していたのかというと、中学や高校の教科書や問題集を使って、先取り学習をしていたのです。結果的にそういう子供達が中学受験を突破し、良い大学に入って良い会社に入って成功する、そういうロールモデルが形成され、そしてそれに憧れる家庭が増加しました。そしてそういう家庭の要望を満たすべく、私立が乱立し、それに伴い中学受験専門塾が台頭しました。優れたマニュアルで数多くの子供達に可能性を広げたのは間違いなくそれらの塾の功績です。しかし、中には子供自身よりも親の願望によって受験勉強を始めたという家庭もあり、合格できたもののカリキュラムについていけず、ドロップアウトするという子供が数多く現れ始めました。「名門私立に入れば、質の高い授業とカリキュラムで子供を導いてくれる」と思われがちですが、高いのはあくまで「レベル」であって、必ずしも「質」が高いわけではありません。実際、有名私立の生徒たちからはよく、「教師の言っていることがさっぱりわからない」「教師の言っていることが難しすぎて授業についていけない」という相談をされます(良い教師とは、難しい内容を簡単な言葉で説明できる人ですが、進学校におけるその認識のなさは今も昔と全く変わっていない印象です)。そういう場合でも、昔の子供達であれば、自分が入りたくて入ったのだから、それにくらいついていけたのでしょう。しかし元々そんなにやる気のなかった現在の子供達は気持ちが折れ、ドロップアウトしていきます。どの有名私立でも、下位層の学力はかなり悲惨な状況ですが、そういう実情はあまり知られていないようです。

 よく「公立中学はレベルが低い」と言われますが(よく学習塾はこう口撃しますが)、確かにレベルは低いですが、質が低いわけではありません。レベルが低いのは学力の低い子供達にも配慮しなければならないからであって、別に教師に高いレベルを教える技術がないわけではありません。試しに授業時間外に難しい問題を質問しに行ってみればいいでしょう。分かりやすく教えてくれるはずです。また、公立では教師は学力の低い子供達にも配慮して、なるべく平易な言葉で授業するため、生徒達はより良く理解することができます。私個人の経験で言っても、中学時代の教師達の授業が一番分かりやすかったです(一番分かりにくかったのが高校でした)。また、姫路は全体的にスポーツが強いです。例えば(白浜の)灘中学は柔道部が、夢前中はバレー部が全国大会の常連ですし、その他の学校も結構スポーツや文化部が強かったりします。公立だと、そういう名門クラブの英才教育が「タダ」で受けられます。そう考えると、公立が決して悪いとは思えません。

 たまに高校時代の同級生に会うと、みな口をそろえて「子供は私立に行かせたい」と言います。おそらく、高校に入ってからの「あの」急激な勉強のハイレベル化を経験し、「中学時代にもっと勉強させなければ、高校からが大変だ!」と考えているからでしょう。また、世代的にもまだヤンキーが多かったということもあり、「うちの子を変なのと一緒にさせたくない」という部分もあるようです。そういう同級生たちも、有名私立の下位層の学力の悲惨さを知れば考えを改めるかもしれません。公立の生徒は高校に進んでから壁にぶち当たり、そこで挫折するか、それを乗り越えるかしなければなりませんが、有名私立の生徒達はそれを中1段階で経験します。それを乗り越えられる生徒はいいですが、それができない生徒は6年間くすぶり続けます(そういう生徒はさっさと学校を辞めて公立に戻った方が良いと思います)。同級生たちには、そのリスクがあまり認識されていないようです。私立の底辺で6年間くすぶり続けるくらいなら、公立中学でしっかりと基礎・基本を固めて、かつ部活もガンガン頑張って体力も精神力も身に付けたうえで、それで高校で落ちぶれた方がまだマシです(高校で落ちぶれた人は高1からやり直せばいいですが、私立で落ちこぼれた人は中1からやり直さねばなりません)。公立は私立に比べて1年短い状況で大学入試に臨まねばなりませんが、基礎と基本が固まっていれば全く問題ありません。

 長々と書きましたが、私が言いたいのは要するに、中学受験の実質は飛び級だということです。難関私立は公立の勉強に満足できない子供が行くべきところです。小学校の勉強もままならない子供が行くべきところではありません。たとえ現在の成績が悪くても、子供に勉強を頑張る意志があり、かつ実際に塾や学校からの課題をきちんとしているのであれば、そのまま受験勉強を続けさせた方がいいでしょう。そういう子供は必ず伸びます。しかし、子供が家でまったく勉強していない状況(あるいはやったふりして答えを丸写ししている状況)であれば、さっさと受験勉強をやめさせた方がいいです。それが現時点でのその子の限界だったということです。そのまま無理やり受験勉強を続けさせると、その子は壊れてしまいます。そうなる前に、早めに撤退するべきです。

『僕らの仮説が世界をつくる』佐渡島庸平

 4月に入り少しスケジュールに余裕がでてきたので、色々と本を読みました。その中で役に立った本や面白かった本を少しずつ紹介していきたいと思います。

 まず紹介したいのが、佐渡島庸平さんの『僕らの仮説が世界をつくる』という本です。佐渡島さんは『宇宙兄弟』や『ドラゴン桜』をヒットさせた編集者で、現在は会社を経営されています。以前、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演されていたので、知っている方も多いと思います。ちなみに、教え子の一人に顔がめっちゃ似ています。

 本の内容は、これからの働き方のモデルケースを示したものなので、どちらかというと働く若者やこれから起業をする人向けだと思いますが、勉強に関することも書かれています。佐渡島さんは中学受験に挑戦するも全滅し、中学時代を南アフリカで過ごされました。10人の日本人だけの中で、教材は教科書だけという環境だったため、仕方なく教科書だけを徹底的に学んだそうです。しかし帰国してみると思いのほか成績が良く、灘高校を受験してあっさり合格、そのまま東大文学部に合格されたそうです。本人曰く、「塾や他の教材に惑わされず、ひたすら教科書という基本だけをやっていた」環境が幸いしたとのこと。「基本の徹底」こそが重要で、高校に入って数学ができなくなった人は「(基本的な)計算問題をしなくなったから」、高校には行って英語ができなくなった人は「(基本となる)単語を覚えていないから」とのこと。

 進学校の場合、難関国公立の2次試験を想定したカリキュラムで授業が進められるため、基本は生徒の自己責任に任せ、授業では応用を中心に進められます。試験問題もそのレベルから出題されるため、生徒もその部分だけを勉強します。それについていける人は有名大学に合格できますが、それについていけない人は応用はおろか、基礎すらもできないという悲惨な結果になります。後者は、まずはとにかく基本「だけ」をすることです。基本がしっかりすれば、そこから応用に対応するのは容易です。学校が基本をしてくれないのであれば、自分でするしかありません。時には学校を疑うことも必要です。

 他にも、「人生を変えるには習慣を変えるしかない」という部分が多いに共感できました。保護者の相談でよくあるのが、子供がゲームばかりして全く勉強をしないというものです。前にも書きましたが、基本的に、子供に理屈は通じません。説教されても「うるせーな」というのが子供の本音です。ゲームばかりして叱られて「心を入れ替える!神に誓う!!」と言ったところで、たとえそれが本心であれ、そこにゲームがある限りするに決まっています。私なら絶対にします。また、今はネット社会で動画がタダで見放題なので、子供からすれば天国です。説教しても子供のストレスがたまるだけなのでかえって逆効果です。それよりも、ゲーム機などの遊び道具を処分するのが一番手っ取り早くかつ確実な方法なのですが、なかなか実行してもらえないことが多いです(隠したところで、子供は絶対に見つけ出します。子供はそういうところにだけ天才的な能力を発揮します。)。「捨てたで」というとキレるので、こっそりと壊しましょう。「壊れた」なら、子供も納得するでしょう。

 以上に取り上げた部分は枝の部分であり、メインはむしろ経営に関することですが、いろいろと参考になることが書かれており、非常にためになる本だと思いました。

2016年4月23日 (土)

コスパについて

 少し前に読んだ百田直樹さんの『大放言』という本の中に、「何でもコスパで考えるバカ」という一説がありました。若者が何でもかんでもコスパ(コストパフォーマンス)で考え、「結婚はコスパが悪い」「車はコスパが悪い」と合理的に何でも考える若者を「何か大事な価値観が抜けている」と批判されています。百田さんは若いときに金が無かったにもかかわらず車を買い、そのせいで金銭的に苦労されたそうですが、その車のおかげで豊かな人生を送れた、コスパでは測れない大きな満足感を得られたとおっしゃっています。

 勉強においてコスパを考えることは決して悪いことではありません。むしろ、限られた時間で最も効率の良い勉強法を考えるのは非常に有意義なことです。しかし、何でもかんでもコスパで考えると弊害が出てきます。以前教えていた生徒ですが、彼は偏差値70近い高校に入学できたまでは良かったものの、その後カリキュラムについていけず、学年最下位のままゲーム三昧の日々を送っていました。英単語帳から「この単語の意味、言ってみて」と出題すると、一問も答えられないという状態でした。本人曰く、「やらなあかんのはわかっているけど、やる気が起きない」とのこと。そこで私は書いて覚えることを勧めたのですが、彼は「でもなぁ~、(書くのは)効率悪いからなぁ~」と一言。確かに書いて覚えるというのはコスパは悪いですが、毎日朝方までゲームをするぐらいなら、その時間を1時間でも書いて覚える時間に回すぐらいわけないはずなのですが、おそらく、「もっと楽して覚える方法ないかなぁ~」というのが本音でしょう。そんな簡単な方法があれば誰も苦労しません。その生徒ですが、一事が万事、数学に関しても、「まずは基本だけやってみよう」と勧めても、「でもなぁ~、それだけできてもテストでは点取れないからなぁ~」で、結局テストではその基本すらも正解できません。その生徒から将来の進路について意見を求められたため、私は「アニメやゲームが好きなら作家か脚本家を目指せば?(その生徒は文系)」と勧めたところ、「でもなぁ~、なれるの一部やしなぁ~」「下積み時代の給料、激安やからなぁ~」とのこと。要するに、「楽して、かつたくさん稼げる仕事がいい」のでしょう。んな仕事、あるかい!

 そもそもコスパで考えるのであれば、学校に行かず独学すればよいのです。最も効率の良い勉強方法は、間違いなく独学です。自分のペースで勉強できますし、何よりお金がかかりません。独学で高認取って、それで大学に進めばいいのです(もっと言えば、これからは学歴の価値がますます下がる時代なので、大学に行かず図書館でタダで知識を得て学力を高めた方が遥かにコスパがいいでしょう)。ただ、実際にそれをできるのは、よほどストイックで自制心のある人だけでしょう。何でもかんでもコスパで考える人は、感情というものを置き去りにします。効率の良い完璧な計画ばかりを立てるのはいいものの結局長続きせず、そのまま卒業まで惰性で過ごすというパターンの方が多いでしょう。勉強をする時に基準にすべきは、満足感や達成感です。「ああ、今日俺頑張ったなー」と思えるような一日を過ごすべきです。

2016年4月 4日 (月)

良い友人を作ろう

 私は高校に入ってから落ちぶれました。最初の中間テストで400人中240番台、期末はさらに下がって280番台、それで完全に気持ちが折れてしまい、惰性で高校生活を送っていました。当時、同じ柔道部に「シゲ」という同級生がいました。彼も私と同じく中学から柔道をしていて、高校では成績がイマイチな人でした(おそらく、中間・期末とも150~200番台くらいだったと思います)。高1の2学期のある日、部室に行くと、シゲが一人でこっそりと何かを見てニヤニヤしていました。何を見ているのか気になったので強引に見せてもらったところ、テストの総合順位が「8位」と書かれたテスト結果一覧表でした。本人曰く、「今回いつもよりちょっと頑張った」とのこと。「少し頑張るだけで、全然違うから、やった方がええよ!」とも。傍から見ていて私とそれほど大差なかったと思われたシゲのその言葉には、説得力がありました。そしてシゲには失礼ですが、「シゲが結果出せたなら、俺も頑張ればいける!」と勝手に思いました。その言葉で急にやる気が出たとか、生活が劇的に変わったというわけではありませんでしたが、「やればできる!」という具体的なイメージは持てました。

 また、小学生の頃から付き合いのあるナオキという同級生がいるのですが、彼は高2の夏休みに「一緒に勉強しよう」と誘ってくれました。彼も成績はイマイチで、全然勉強しなかった人なのですが、「このままじゃあかん!」と思い、「一人じゃ勉強できへんけど、誰かがおったらできる」ということで、私を誘ってくれたのです。彼の家でほどほどに勉強して疲れたらゲーム(ウイイレとスト2)をしてリフレッシュ、彼のおかげで充実した夏休みを過ごせました。

 もう一つ。東大・京大志望以外の文系の生徒は通常、3年に上がるときに日本史と世界史の選択を迫られます。日本史も世界史も授業がさっぱりわからなかった私は、消去法で世界史を選択しました。日本史のあの資料を使ったマニアックな問題が大嫌いだったからです。友人の一人は『信長の野望』というゲームが好きだったことから日本史を選択していました(その子は戦国時代だけ異常に詳しかった)。3年に上がってある日の昼食後のこと、他愛ない会話の流れから日本史選択組と世界史選択組とで「なんでお前ら世界史(日本史)やねん!」という話になりました。日本史組の一人の「お前ら日本人なんやから、日本の歴史をもっと学ばんかい!」という意見に対し、私と同じ世界史選択組の一人だったナオキは「日本史は(中学で)一回やったことの焼き直しやおもんないけど、世界史は未知のことやからまだ興味が持てる」と反論しました。今までそんな発想をしたことのなかった私は思わず「おお!」とうなってしまいました。それから何となく、私も世界史に興味をもてるようになりました。

 彼ら以外の友人もみな面白い人達ばかりで、大いに笑わせてくれました。彼らのおかげでストレスなく楽しい高校生活を送れました。

 同じ落ちぶれる人でも2種類います。成績の良い人を見習って頑張ろうという人と、腐って成績の良い人を妬む人です。後者は落ちぶれてもプライドだけは高いので、成績の良い人を「めちゃめちゃ努力してるねー」などと皮肉ったり、テストの日に「いやー、昨日全然勉強してないわー」と聞いてもいないのに言い訳したりします。これは、「才能じゃお前に負けてねえよ!」という悲しき自己アピールなのですが、私はどんなに落ちぶれても、絶対にこんな人間にはならないでおこうと思いました。こういう人はこういう人同士で集まり、ますます生産性のないことをするようになります。

 自分を高めるには、良い友人と出会うことが大切です。良い友人とは、傷をなめあってくれる人ではなく、自分を高めてくれる人のことです。そういう人との関係を大切にしましょう。

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