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2016年6月

2016年6月10日 (金)

学歴と学力

 著名人はそろって「学歴なんか関係ない!」と仰いますし、私もその意見に賛成です。学歴はあくまでその人の一定の時期の学力を示したものに過ぎませんので、大学時代に遊び呆けてどれだけ学力が落ちようが学歴で評価するのは妥当ではありません。その学力というものも、あくまで事務処理能力の高さに過ぎません(これからは変わってきます)。ただ、これを「だから勉強なんてする必要ない!」と曲解して怠ける人が少なからずいます。成功した人は別として、「学歴なんて関係ない!」と言っている人たちは、学歴に代わる評価基準を何か持っているのか、甚だ疑問です。

 就職先の見つからない大学生が、「結局、企業は学歴で選んでいるじゃないか!学歴差別だ!!」などとよく泣き言を言いますが、それはとんでもない誤解です。企業からすれば学歴があろうがなかろうが、戦力になればなんでもいいのです。企業に就職したければ、学歴のハンデを覆す自分の武器をアピールすればいいだけですが、それができないのは結局、自分の武器が何もないからでしょう。企業も消去法で学歴で判断するしかありません。「何もない奴よりは、事務処理能力だけでもある奴の方がマシ」ということです。それを「学歴差別だ!」などと言われても、企業からすればいい迷惑です。ただ、これからも間違いなく学歴に対する信用は相対的に低下し続け、学歴ではなく学力そのものの評価の度合いが増え続けるでしょう。

 「学歴なんて関係ない!」と言っている人たちはだいたい高学歴者です。「矛盾してるじゃないか!」と思われるかもしれませんが、これはおそらく、高学歴者には「学歴って、世間一般で言われるほどおいしくないよな」という共通認識があると思います。私もこの仕事をしていなければ、全く感じなかったことでしょう。学歴そのものに見返りを求めるのは絶対にやめた方がいいです。自分のやりたいことを早めに見つけ、大学でどれだけ専門性を身に付けたか、世間はそこ「しか」評価しなくなります。

志望校選びに関して 中学受験編

 志望校選びに関して。まず大前提として認識しておかなければいけないのは、有名大学に行くためには公立の勉強だけでも十分だということです。公立だと高校時代にかなり頑張らなければなりませんが、中学までに基礎をしっかりと固めておけば何ら問題はありません。家で自主的に勉強できない子供は、有名中学に進学するのは、たとえ合格できたとしても、やめておいた方がいいです。とりあえず子供を進学校に放り込んでおけば、あとは学校が導いてくれると勘違いされている保護者が多いですが、学校からすればそういう子供に来られると迷惑でしょう。「とりあえず合格。その後のことは受かってから考えればいい」ではダメなんです。どの有名中学も高レベルのカリキュラムがハイペースで進められるので、家で全く勉強しないような人は必ず落ちこぼれます。「人に説得されて続けるようでは、どのみち続かない」(『3月のライオン』幸田八段)。自主性と自律性が身に付けられなかった時点で負けです。

 次に、偏差値が高いからといって必ずしも本人にとって良い学校とは言えないということです。灘なのに関関同立にしか受からなかった人もいれば、白陵から東大に受かる人もいます。逆に、白陵なのに兵庫県立大にしか受からなかった人もいれば、淳心から京大に受かる人もいます。学力が逆転するのは、その生徒がその学校のカリキュラムや校風に合う・合わないという要素が大きいためです。もっともこの校風というのも、各学校のパンフレットやホームページを見る限り、「子供の自主性を尊重して~」「子供の自立心を~」など抽象的なものばかり、結局は大学合格実績しか判断材料がありません(学校はカリキュラムの進度や定期テストのサンプル問題、使用教材など、具体的な情報をもっともっと公開するべきでしょう)。そしてこの大学合格実績も、最難関の一流校を除き、現役と浪人の内訳をホームページ上に公開していない学校がほとんどです。一見多くの合格実績を誇っているようでも、実際には有名大学の合格者の過半数が浪人生というケースもあり、こちらもあまりあてになりません。結局はその学校の生徒やその家族、あるいは卒業生からの口コミ情報が一番信頼できるでしょう。

 個人的には、基礎と基本をしっかりとやってくれる学校が良いと思います。よく目にするのは、上ばっかり見て足元をお留守にするパターン。0から1を生み出すのは大変ですが、1を2や3に増やすのは容易です。その辺りをしっかりと理解できている学校なら間違いないでしょう。

義務教育は必要だが授業は不要

 某塾の受け売りと言うわけではないのですが、確かに「(集団)授業って必要か?」「自分でやった方が早くね?」という疑問は、ある程度以上の学力のある人であれば、少なからず思った経験があるのではないでしょうか。これは小中学校(公立)にはあまり当てはまりませんが、高校、特に偏差値の高い高校の生徒ほど、その思いは強くなるのではないでしょうか。

 私の経験で言えば、頭のいい人ほど基本をしっかりさせるべきなのですが、実際はそうはなっていません。例えば、高校生から非常によく受ける質問が「そもそもサインとかコサインって何なんですか?」「そもそもログって何なんですか?」です。私が高校生の頃、数学の授業中にクラスで一番賢い子が「そもそもサインとかコサインって、何なんですか?」と質問してみんな拍手大喝さい、実はみんなサインコサインの意味がよく分かっていなかったのです。教師は面食らった様子で、結局「角度が何ちゃら…」と意味不明な解説をしていました。基本とはこういうことです。「そもそもサインコサインって何?」「それが実生活でどう役に立つの?」そういう根本的なことをしっかり教えておかないと、生徒は具体的なイメージを全く持てません。そこをおざなりにして解法だけ教えるというのは、もはや学問ではありません。教え子の一人によると、同じような質問をすると教師から「そのへんは教科書に詳しく書いてあるから、後で読んどけ」と言われたそうですが、教科書を読んで足りるのであれば教師は必要ないですね。

 理科系(科学・物理・生物)であれば、教師が専門用語を一方的に羅列して自己満足に浸るケースが多々ありますが、専門用語を羅列するのであれば教科書を読むだけで十分です。英語であれば、長文読解ばかりを宿題に出し、授業ではひたすらその解説ばかりを行い、生徒が質問に答えられないと怒鳴ったり小馬鹿にしたりするケースが多いですが、それなら自分で答え合わせした方がはるかに効率がいいでしょう。生徒達の話を聞く限り、今も昔と変わっていない印象です。勿論、教師により教え方の上手い下手はピンキリですので一括りにはできませんが、外れに当たると悲惨です。私の経験上、「この人、分かりやすい!」と思えたのは数えるほどです。中学時代の国語の先生と、中高時代の塾の塾長と、司法試験予備校講師の柴田孝之さんぐらいです。この3人に共通しているのは、難しい内容を極力平易な言葉で説明できる能力と、笑いのセンスです。悲しいかな、そういう人はほとんどいませんでした。

 サービス業というのは普通、映画・漫画などの文化的なものであれ、医療であれ美容であれ、普通は客がサービスに対し対価を支払い、内容に満足できなければ内容を変更してもらえるか、あるいは損切りでサービスを受けるのをやめることができるのですが、学校教育というのは特殊で、こちらが金(税金)を払ってもサービスの内容(授業の質)が悪いと「馬鹿なお前が悪い!」と逆切れされます。塾や家庭教師だと契約切られて終わりなのですが、学校教育だとそのサービスを変えてもらうことはおろか、受けるのをやめることすらできません。そして内職も許されないため(内職されるような授業をする方が悪いのですが)、無駄に時間を過ごす羽目になります。これは拷問以外の何物でもありません。せめて内職を許容してくれれば、生徒達も助かるのですが。

 学校の授業が分かりにくいのであれば、自分で何とかするしかありません。具体的に言えば、内職スキルを上げるしかありません(ただしバレても責任は負えません)。別の科目の問題集を開くとすぐにバレるので、教科書を読み込むのが一番です。何周も、何周も、基本を徹底するのです。小論文のある学校を受験するのであれば、頭の中で草稿をつくれば良いでしょう。あるいはもう、授業中は完全に睡眠時間に充てるのもいいかもしれません。達人になれば、目を開けたまま寝れます。時間を無駄にしない方法はいくらでもありますので、自分なりの方法を考えましょう。何もしないよりはましです。

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