« 2016年6月 | トップページ | 2016年10月 »

2016年7月

2016年7月29日 (金)

人権作文について

 毎年中学生用の課題として出される人権作文ですが、「人権」なんて言ったって子供にはぴんと来ないのではないでしょうか?かつては、政府に都合の悪い書物は読むのを禁止され(知る権利の侵害)、身分制度により自分のやりたい職業にもつけず(職業選択の自由の侵害)、好きな相手とも結婚できず(婚姻の自由の侵害)、政府の批判をすれば警察に捕らえられ(表現の自由の侵害)、まともに裁判を受けられず(裁判を受ける権利の侵害)、選挙権すら認められない、そのような時代がどの国にもありました。しかし現在では人権は厚く保障され、人々は何不自由なく生活できるようになりました。そういう現状で、人権の大切さを子供に認識させるのはなかなか難しいことです。

 ただ、子供にも人権の制約がないわけではありません。子供には飲酒や喫煙の自由がありません(「~の自由」は人権のうち「自由権」に含まれます)。しかしこれらを制約するのは子供の健康を守るためであり、その制約には合理的な理由があります(これを「公共の福祉」といいます)。これらの人権は、子供を守るという利益に比べたら、それほど重要な権利ではありません。あるいは、例えば医療ドラマを見て感動した中学生が「よーし、明日から医者として働くぞ!」と思っても医師免許がないので医者として働けません。この場合、医師の免許制度は中学生の「職業選択の自由」を制約していることになりますが、医療知識のない人が患者の治療をしても効果がないどころか、患者が死んでしまうことになるため、この制約には理由があります。しかし、例えば、部活動で試合中にミスをして顧問にビンタされた、こういう場合、その生徒の「身体の自由」は侵害されていることになります。顧問からすれば「生徒を教育する権利(教育権)」の範囲内だ(いわゆる「愛のムチ」)と反論することになるでしょうが、ではこのビンタは教師の「教育権」の範囲内と言えるのか、「身体の自由」この場合「殴られない自由」は顧問の「教育権」により制約されるだけの合理的な根拠があるのか?ビンタが教育権の範囲外であるならば、それは人権侵害になります。あるいは授業中に生徒が教師の質問に答えられないとき、教師から「アホ!」などと罵られたり「こんなんも分からんの?」と小馬鹿にされた場合、こういう発言は教師の「教育権」の範囲内なのか、生徒の「名誉感情」を教師の「教育権」で侵害できるのか?これらの発言が教育権の範囲外であるならば、それは人権侵害になります。あるいは、中学受験を控えた生徒が「学校に行かんと家で勉強したい」と言ったとき、学校が「学校に来て授業を受けろ!」と強制してきた、この場合、生徒の「(自分で)学習する権利」と学校の「教育権」とがぶつかることになりますが、果たして学校の教育権は生徒の自宅学習の権利を制約できるのか、問題となります。あるいはもっと単純な例で、「勉強したくない!」という子供に対して親が「勉強しろ!」と強制することは許されるのか、この場合、子供の「勉強をしない自由」と親の「教育権」が衝突することになりますが、親に教育権の優越を主張できるだけの合理的理由がない限り、それを強制するのは子供の人権侵害になります。今、関西テレビで『ウォーターボーイズ』の再放送がされていますが、生徒達が「学園祭でシンクロ公演をしたい」という主張に対して、学校側が「受験勉強に専念させるため、公演は認めない」と言ってきた場合、このような制約は認められるのか?シンクロ公演をする自由は「表現の自由」に含まれますが、学校側の教育権、この場合、「生徒達の将来ために受験勉強に専念させて良い大学に行かせる」という理由で制約できるのか?

 長々と書きましたが、要するに、人権あるいは人権侵害というのは日常生活のあらゆる場面でいくらでも問題になり得るということです。学校によっては「犯罪被害者の人権について」だの「アイヌ民族の人権問題について」だの、やたらと壮大なテーマが出されたりしますが、そういう日常生活からかけ離れたものでなくても、まずは身近なところから人権意識をつけていった方がいいように思います。

2016年7月 1日 (金)

漢字について

 学力を上げていくうえで漢字は欠かせません。国語の問題で確実に漢字は出題されるうえに、そもそも漢字の意味を知らないと文章を読み進められないからです。漢字は国語の土台であり、そこを避けては国語の成績アップは望めません。なので、何はなくともとりあえず漢字さえ覚えておけば何とかなります。しかし実際のところ、成績の悪い生徒ほど漢字を覚えていません。そこで保護者から「漢字を覚えるにはどうしたらいいですか?」とよく質問されるのですが、前にも申したように書いて覚えるのが間違いないでしょう。ただ、書くことすら「しんどい」といってしない子供もいます。それはもう私の力ではどうすることもできません。ただ、漢字は必ず意味も覚えなければなりません。漢字を覚えるのが嫌と言う子供は、近道をしようとしてろくに意味を調べずに漢字を覚えようとしている印象ですが、漢字の一つ一つの意味を知ると、漢字ほど面白いものはないということがよくわかってきます。

 例えば「商売」と言う熟語に関して。公民の授業でよく生徒に「商売って何?」と質問すると、たいていの生徒は「物を売ること?」と答えます。「じゃあ農家が米作って売っても商売なん?」と質問すると、「うーん、何となく農家は違うんじゃないっすか?」と答えますが、誰もその正確な意味を答えられません。大人でも意外と知らない人が多いし、実は私も大人になるまで知りませんでした。今までこれに答えられた生徒はただ一人、西高の生徒でしたが、ずばり「転売?」と答えてくれました。そう、商売とは転売のことです。他から安く仕入れて他に高く売る、要はピンハネすることが商売なのです(商社にお勤めの方は気を悪くなさらないでください)。算数の問題でよく出題される「原価~円で仕入れて定価~円で売ったときの利益は?」というあれです。中学受験生の教え子はこの問題を解いたときに「(ピンハネなんかしやがって)クソ野郎やな…」と言っていました。そう、小学生ですら「クソ野郎!」と感じるのですから、昔の儒教圏では「士農工商」で商人が一番下に位置付けられ、「商業は賤業」として差別されてきました。中国で長年資本主義が発達しなかったのもそういう儒教的差別意識が強かったからです。そもそも「商」と言う字自体、差別用語でした。商とは昔の中国の殷王朝の生き残りの人々のことで、商は周(殷を倒した王朝)の人々から徹底的に差別されました。土地を持たず、定職に就くことも許されなかったためやむなく転売して生活していったのですが、その結果大儲けして、更に差別されるようになっていきました。そういう「商の連中がやっている売買」だから商売なのです。

 漢字一つでもこれだけ面白い意味があります。別にここまで細かく調べろとは申しませんが、時間はかかりますが、漢字の一つ一つの意味を調べていった方が結局は印象に残りますし、覚えやすいと思います。なので、漢字の問題集は、漢字の意味が載っているものを使用した方がいいです。機械的に字だけ覚えろと言うのも無理な話です。私の授業では、生徒に意味を聞かれたらお答えするようにしています。できるだけ小話を挟んで、興味を持ってもらえるようにしています。

« 2016年6月 | トップページ | 2016年10月 »