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2016年11月11日 (金)

本について

 以前にも書きましたが、「国語の成績を上げるために」本を読めという意見には反対です。本を読んだからといって国語の問題が解けるようになるわけではありませんし(国語の成績を上げたいならば本を読むよりも文章を書く練習をするべきです)、そもそも本というのは「自分が読みたいから」読むものです。親が「本ぐらい読みなさいよ!」と言ったところで子供が読むはずもありません。「成績を上げるため」という不純な動機が、かえって子供の読書嫌いを加速させます。私自身、古文に漢文にしろ、あるいはクラシック音楽にしろ美術にしろ、ある程度年齢を重ねてようやくその面白さや素晴らしさが少し理解できるようになりましたが、学生時代は全く面白いと思いませんでした。漫画や映画やゲームの方が遥かに面白かったのに加え、学校教育がそれらを強制することがかえって余計に私の興味を遠ざけました。

 実際、本は面白いものです。映画や漫画やゲームは面白いですが情報が一方通行なのに対し、本は自分の想像力を膨らませることができます。実際、どんなに感動した映画でも3回目以降になると感動が薄れますが、本は何回読んでも飽きません。本は読むたびに新たに想像性が掻き立てられるからです。ただ、それは本人が感じることであって、周りが強制することではありません。もし私が友達から「この本、面白かったよ。あんたも読んでみたら?」と言われれば読むかもしれませんが、「役に立つから、読めや!」と言われれば絶対に読みません。

 子どもが興味をもって自分で選んだ本であれば、それがライトノベルであろうがエロ小説であろうが、親は口を出してはいけません。ゲームにはまるよりマシです。親や学校はとにかく子供の将来に役に立ちそうなもの、特に古典を勧めますが(国語の入試問題で作品名と作者名が出題されたりするから)、これは非常にリスクが高いです。自分達と全く価値観の異なる時代の人々の感性と子供の感性が合うはずがありません(実際は古典は「ああ、時代が変わっても人間ってこうだよなあ」という共感を引き出してくれますが、子供には理解しにくいでしょう)。小学生が太宰治の『人間失格』や夏目漱石の『こころ』を読んで、「う~ん、分かるわあ」という方が怖いです。私が高校生の頃、「そろそろ本ぐらい読まないとマズいよな…」と急に思いたって選んだのがページ数の非常に少ないヘミングウェイの『老人と海』、全然面白くなかったですが読み終えることができ、調子に乗った私は「次はもっと大作に挑んでやろう!」とドストエフスキーの『罪と罰』を購入、死ぬほどつまらないうえに文章が難しく全く読み進められず、3日も経たぬうちに断念しました。「役に立つから」とか「そろそろ高校生だから」とか「ドストエフスキー理解できる俺って超カッコいい!」などという不純な理由で読んでも長続きしません。「面白そうだから」「興味があるから」それが一番大事です。ちなみに少し前に、某中学受験塾の模試の国語の問題が小説『聖の青春』(大崎善生)から出題されていました。この小説は、若くして亡くなった天才棋士・村山聖さんの生涯を描いた小説なのですが、その内容があまりに面白かったので早速アマゾンで注文し、一気に読んでしまいました。松山ケンイチさん主演で映画化もされましたが、かなりお勧めです。未見の人は是非。

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