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2017年11月16日 (木)

努力について

 「努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している。」かのベートーヴェンの言葉です(てっきり、『はじめの一歩』の鴨川会長のオリジナルの台詞だと思ってました)。勉強にしろスポーツにしろ、努力なしに成功することはできないということでしょう。辞書によれば、「努力」とは「目標の実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。」とのこと。ある人は子供に対し、「寝る間も惜しんで勉強しろ!」「苦しくても歯を食いしばって努力しろ!」と仰っていました。そうなると、私自身は「努力」はできないですね。少なくとも私は、寝る間を惜しんだり苦しいのを我慢すると、「もう二度とやりたくねー!」と感じ、ますます勉強が嫌いになりました。ベートーヴェンの言う「努力」が日本語の「努力」と同じ意味なのか、そのあたりはよくわかりませんが、ベートーヴェンが「私は、自分に課せられていると思っている創造を全てやり遂げずに、この世を去るにはいかないのだ。」と言っているあたり、ベートーヴェンには創造に対する内面的衝動が先にあり、それに体がついていけない(難聴と肝硬変)から努力したという感じでしょうか。少なくとも、外からあーだこーだ言われて嫌々努力したという感じではないようです。

 私自身、大学受験のときは、自分では努力したと思っております。ただ、「寝る間を惜しんで」とか「歯を食いしばる」とか、そういう思いは全くしていません。自分がやるべきことをやっていたら、いつの間にか時間が過ぎていた、そういう感覚です。要するに、いつの間にか勉強に没頭していた、ハマっていたという感覚です。結果的に睡眠時間が短くなることはありましたが、それはあくまで没頭の結果であり、そこに負の感情はありませんでした。なぜハマれたかというと、自分で立てた戦略が自分にとって無理のないものだったからです。どうすれば気持ちを切らさないでいられるか(家庭での環境づくり)、今の自分は何ができるか、どのレベルなら頑張れるか、いかに無駄なこと(主に学校の課題)をしないで済ませられるか、そういうところを正しく自己分析して戦略を立てられれば、あとはそれに従えば何ら苦ではありませんでした。努力は主体性ありきです。疲れたらすぐに休みましたし、眠くなったら眠りましたし、遊びたくなったらすぐに遊びました。仮に当時、眠いのを「我慢」して勉強していたり、自分のレベルや方向性にまったく合わない学校の課題をクソ真面目にやっていたり、遊びを一切シャットアウトしていたら、間違いなく途中で挫折していたと思います。

 日本人は努力が大好きです。努力なしに成功できないのは間違いないでしょう。ただ、努力の方向性に関しては、未だに戦前のメンタリティがそのまま残っている印象です。つまり、圧倒的なアメリカとの戦力差を「気迫でなんとかしろ!」というもの。戦前のメンタリティが残っている人は、他人が壁にぶつかっているのを精神力で超えるよう強要してきます。子供に「寝る間を惜しめ」とか「歯を食いしばれ」とか言っている人もしかり。そういう精神論を強要された子供たちが言うとおりに勉強するかと言えば、実際にはほとんどしないでしょう。精神論以前に、家が勉強に集中できない環境であったり、そもそも勉強の難易度がその子供に合っていなかったり、子どもの食生活や睡眠時間が乱れていたり、子供が運動不足であったり、先に改善すべきことがいくらでもあるのに、それらを全部すっ飛ばして「精神力で何とかしろ」と強要します。精神論=ノープランです。戦前の日本は、アメリカに特攻を仕掛けて玉砕しました。子供が玉砕する前に、試すべきことはいくらでもあります。

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