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2018年2月27日 (火)

勉強する意味は教えられない

 「子供が家で全く勉強しない。ガツンとなんか言ってやってくれ(説教)。」もう何度も(家で全く勉強しない子供の)保護者の方々から聞いてきたセリフですが、正直なところ、この要求が一番困ります。子供に対し、勉強に集中するための具体的な方法のアドバイスならいくらでもできますが、それ以上のこと、つまり、私の説教によって子供を改心させ、子供を家で勉強させるようにしろというもの、そこまではできません。子供に「なぜ勉強しない?」と質問すると、正直な子供であれば「何で勉強しなきゃいけないの?」と答えるでしょう。仮に私が子供でも、そう答えるでしょう。勉強しないで困るのは子供本人ですから、子供本人がそれを受け入れれば済む話です(そして親は子供への学習支援を打ち切ればよいのです)。「勉強したくない」という子供に対して親が勉強させたいのであれば、それは親の欲なので、親自身が子供を説得せねばなりません。ただそれは、難しいでしょう。世の中にはやる気を出すための自己啓発本があふれていますが、定番がないのは、それはやる気は外からは生み出せないからです。「何のために勉強するの?」これは子供自身が答えを出すしかありません。少なくとも私は、子供に勉強する意味を教えることはできません。「今学んでいることは将来役に立つ」なんてことはありませんし、「学歴があれば将来就職に有利」という時代もとっくに終わっています。これからシンギュラリティを迎え、あらゆる価値観がますます多様化し相対化していく中で、一つの答えを導き出せるはずもありません。ただ、一つだけ確かなのは、勉強してとりあえず学力を高めておけば、将来の選択肢を増やせるということです。運動すればするほど体力がつくのと同じで、勉強すればするほど学力は上がります。学力が高ければ(ついでに体力もあれば)、何かを始めるときにスタートダッシュできますし、社会がどう変化しようとも、何とかそれに対応して生き延びていけるでしょう(漫画『キングダム』の言葉を借りれば、将に必要なのは「武・智・勇」、これらは永遠に変わらないでしょう。私個人としては、それらの上に、常識やモラルがあります)。結論として、私は「やっておいた方がいいと思うよ」としか言えません。それ以上のことは言えません。本人が必要性に疑問を感じていることを「必要だからやれ」と言うのは他者のエゴであり、それはもはや洗脳です。

 「何のために勉強するの?」その答えは、子供自身が見つけ出さねばなりません。なるべくたくさんの人の話を聞き、なるべくたくさんのことを体験して、子供自身が悩んで、悩んで、悩みぬいて答えを出すしかありません(ゲームやスマホばっかしていると、その悩む時間を奪われ、いつまでも堂々巡りをすることになります)。その答えが「勉強する必要なんてない」であれば、親はそれを尊重するしかありません。さっさと社会に出て、本人がそこで幸せならそれで十分ですし、本人が改めて勉強の必要性を認識し、再び勉強したくなったらすればいいのです。何かを始めるのに、遅すぎるということはありません

 繰り返しになりますが、私には子供に勉強する意味を教えられません。子供自身でしか解決できないことは、子供自身がするしかありません。子供が自分なりに悩み考え、「やっぱり勉強は必要だ」という答えにたどり着いたのであれば、その子供の負担を軽くしてあげることはできます。

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