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2018年3月

2018年3月29日 (木)

環境を変えるしかない

 少し前にベストセラーになった橘玲さんの新書『言ってはいけない 残酷すぎる真実』に、「子供の性格は遺伝と非共有環境で決まる」という一節がありました(海外での研究の結果を橘さんが引用した形です)。非共有環境とは、子供が家族と共有していない環境、つまり学校や友人関係といった家族外での環境のことです。人間は社会的な動物(一人では生きていけない動物)なので、社会におけるポジション(社会的地位や年収など)に最も高い関心を払う、それは子供も例外ではなく、子供は学校や友人関係においてのポジション(男子なら誰が一番賢いか、誰が一番ケンカが強いか、女子であれば誰が一番可愛いか、どの男子と付き合っているのか、など)に最も関心を払い、家庭内のことには重きを置かない、というもの。要するに、子どもの性格は親の遺伝と学校や友人関係などの非共有環境で決まるので、親がどれだけ一所懸命子育てをしてもあまり効果はないということです。これはあくまで研究結果の一つに過ぎません。ただ、こう言われて、実際に思い当たる人は少なくないのではないでしょうか?もし、一所懸命子育てしているのに子供が真っ直ぐに育たなくて困っているという親御さんがおられれば、そういう方は責任を感じる必要は全くありません。子供が真っ直ぐに育っていないのは子供の非共有環境(学校や友人)が良くないのだから、親にできること、すべきことは、子供の環境を適切なものに変えてあげることです。

 では、子供にとって良い環境とは何か?それは、自分を高める努力をしている「尊い人」の近くに子供を置くことです。私自身、小学生の頃は少し荒れていたのですが、中学に上がって半ば強制的に柔道部に入部させられ、そこで自分よりもはるかに強い人達が、高みを目指して一心不乱に練習する姿を見て、自分の小ささを痛感すると同時に、自分もこの人達みたいになりたいと思いました。子供にとって一番大事なことは、そういう「尊い人」に出会えるかどうかです。

 勉強にしてもスポーツにしても、高いレベルにいる人ほど精神的成熟度も高いので、そういう人からは大きな刺激を受け取ることができます。なので、勉強に関していえば、なるべく偏差値の高い所に子供を行かせるのが無難ではあります。ただ、全員が全員、そういう「尊い人」から刺激を受けるかと言えば、そういうわけでもありません。偏差値の高い学校に合格したものの、そのカリキュラムについていけなくなったという場合、「尊い人」を見習おうとする子供と、現実逃避する子供です。後者は男子であればゲームやネットにはまり、それを成績の良い子供にも広げる。自分の子供が特定の友人と付き合いだしてから成績がガタ落ちしたという方もおられるのではないでしょうか?女子であれば、簡単に承認欲求を満たせる恋愛の中毒になり、そういう子供たちが派閥をつくって学校の空気を悪くしてしまいます。もし自分の子供がそういう状態になってしまった場合は、環境を変えるしかありません。子供を何か厳しめの部活動に入れるとか、近所のボクシングジムや空手道場に通わせるとか、場合によっては転校させるとか、とれる手段はいくらでもあります。いずれにせよ、説教して改心させようとは思わずに、淡々と対処するのが良いでしょう。

2018年3月 6日 (火)

思考を言語化する

 私が大学に入ってから最も苦労したこと、それは「上手く話せない」ということでした。学生同士で討論する場面で、言いたいことはあるのですが、それをうまく表現できない、論理的に組み立てられない。結局、つたない単語を組み合わせて当たり障りのないことを言うだけで「自分の意見」というものに昇華できない、そういうことが多々ありました。

 上手く話せなかった原因はいくつかあります。一つ目は、中・高時代に知識や解法を覚えることに偏り過ぎて、教科書という最高のツールを活用しなかったこと。教科書には必要なことがすべて載っています。「~だから~」、あらゆる記述が論理的に配列され、無駄な部分が1ミリもありません。この仕事をするようになって改めて教科書を読み直して、初めてその凄さに気づきました(特に理系科目)。結局、学校の教師達の言っていたことが正しかったわけですが、高校生の頃の私には教科書を読み込むだけの学力はありませんでした。それは中学時代に、教科書を読み込むことをしてこなかったためです。教科書の要点だけを押さえて本質的なことを理解しないまま問題集を解いて知識を固める、要領よくやったつもりでしたが、そのツケを高校以降に払うことになりました。

 二つ目は、国語教育に問題があります。国語(というか現代文)では、主に文章の読解のみが行われています。「筆者の主張を正しく解釈しろ」というものです。コミュニケーションは、①まず相手の言っていることを正しく理解して、そのうえで、②自分の意見を伝える、その繰り返しで成立します。①が正しくできないと、相手としては「いや、そんなつもりで言ったんじゃねえよ!」ということになり、コミュニケーションが成立しません。なので、①をすることは必要なのですが、問題は、②がほとんど行われていないことです(戦前であれば上官の言うことをきくだけの兵士を育てるため、戦後であれば上司の言うことをきくだけのサラリーマンを育てるため、国家にとって②は不要どころか有害でありました)。教育制度改革でどこまで改善されるのかは分かりませんが、今のままではいけません。②ができないと話を聞くだけで終わってしまうだけなので、もしかしたら男性は女性にモテるかもしれませんが。

 少し前に老荘思想と「断捨離」ブームが起こり、ミニマリストが増加し、その後に「承認欲求を捨てろ」というアドラー心理学が流行しました。これまでの拝金主義や学歴主義が崩壊し、人が人としての生き方を模索していることの表れに思います。国家や通貨も、もしかしたら崩壊するかもしれません。そうなると、大切なのは他者との精神的なつながりになります。自分がどういう思想や哲学を持っているのか、それを相手に伝えるためのコミュニケーション能力がより重要になってきます(要するに、学歴や金があってもモテないし、満たされないし、幸福感も感じられない、ということです)。そのためにも、普段から思考を言語化する癖をつけなければなりません。日記やブログを書くのもよし、誰かと好きな漫画や映画を語り合うもよし、割と女子は普通にやっていますが(ゆえに女性は昔からコミュニケーション能力が高いのです)、男子もしなければなりません。

 思考の言語化以前に、そもそも言語化ができないという人は、まずは語句の説明から始めてみると良いでしょう。例えば歴史の問題集では、「Q:民族と国家の利益を最優先する軍国主義的な独裁政治の体制を何というか。」「A:ファシズム」というような一問一答の問題がありますが、それを逆にする、つまり、「Q:ファシズムとは何ですか。」「A:ファシズムとは、~」という形にすれば、歴史の知識と言語化能力を同時に身に付けられるので一石二鳥です(文を丸暗記しろと言っているわけではありません。自分なりの表現ができればよいのです)。これから始まる大学入試制度改革で明言されているのが「総合的学力」の必要性、知識をいかに言語化できるかが評価の対象となります。勉強の難易度は上がりますが、それに早く対応できた人が勝ちます。

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