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2018年3月 6日 (火)

思考を言語化する

 私が大学に入ってから最も苦労したこと、それは「上手く話せない」ということでした。学生同士で討論する場面で、言いたいことはあるのですが、それをうまく表現できない、論理的に組み立てられない。結局、つたない単語を組み合わせて当たり障りのないことを言うだけで「自分の意見」というものに昇華できない、そういうことが多々ありました。

 上手く話せなかった原因はいくつかあります。一つ目は、中・高時代に知識や解法を覚えることに偏り過ぎて、教科書という最高のツールを活用しなかったこと。教科書には必要なことがすべて載っています。「~だから~」、あらゆる記述が論理的に配列され、無駄な部分が1ミリもありません。この仕事をするようになって改めて教科書を読み直して、初めてその凄さに気づきました(特に理系科目)。結局、学校の教師達の言っていたことが正しかったわけですが、高校生の頃の私には教科書を読み込むだけの学力はありませんでした。それは中学時代に、教科書を読み込むことをしてこなかったためです。教科書の要点だけを押さえて本質的なことを理解しないまま問題集を解いて知識を固める、要領よくやったつもりでしたが、そのツケを高校以降に払うことになりました。

 二つ目は、国語教育に問題があります。国語(というか現代文)では、主に文章の読解のみが行われています。「筆者の主張を正しく解釈しろ」というものです。コミュニケーションは、①まず相手の言っていることを正しく理解して、そのうえで、②自分の意見を伝える、その繰り返しで成立します。①が正しくできないと、相手としては「いや、そんなつもりで言ったんじゃねえよ!」ということになり、コミュニケーションが成立しません。なので、①をすることは必要なのですが、問題は、②がほとんど行われていないことです(戦前であれば上官の言うことをきくだけの兵士を育てるため、戦後であれば上司の言うことをきくだけのサラリーマンを育てるため、国家にとって②は不要どころか有害でありました)。教育制度改革でどこまで改善されるのかは分かりませんが、今のままではいけません。②ができないと話を聞くだけで終わってしまうだけなので、もしかしたら男性は女性にモテるかもしれませんが。

 少し前に老荘思想と「断捨離」ブームが起こり、ミニマリストが増加し、その後に「承認欲求を捨てろ」というアドラー心理学が流行しました。これまでの拝金主義や学歴主義が崩壊し、人が人としての生き方を模索していることの表れに思います。国家や通貨も、もしかしたら崩壊するかもしれません。そうなると、大切なのは他者との精神的なつながりになります。自分がどういう思想や哲学を持っているのか、それを相手に伝えるためのコミュニケーション能力がより重要になってきます(要するに、学歴や金があってもモテないし、満たされないし、幸福感も感じられない、ということです)。そのためにも、普段から思考を言語化する癖をつけなければなりません。日記やブログを書くのもよし、誰かと好きな漫画や映画を語り合うもよし、割と女子は普通にやっていますが(ゆえに女性は昔からコミュニケーション能力が高いのです)、男子もしなければなりません。

 思考の言語化以前に、そもそも言語化ができないという人は、まずは語句の説明から始めてみると良いでしょう。例えば歴史の問題集では、「Q:民族と国家の利益を最優先する軍国主義的な独裁政治の体制を何というか。」「A:ファシズム」というような一問一答の問題がありますが、それを逆にする、つまり、「Q:ファシズムとは何ですか。」「A:ファシズムとは、~」という形にすれば、歴史の知識と言語化能力を同時に身に付けられるので一石二鳥です(文を丸暗記しろと言っているわけではありません。自分なりの表現ができればよいのです)。これから始まる大学入試制度改革で明言されているのが「総合的学力」の必要性、知識をいかに言語化できるかが評価の対象となります。勉強の難易度は上がりますが、それに早く対応できた人が勝ちます。

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