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2018年5月29日 (火)

「普通」と言ってはいけない

 例えば、自分の子供がテストで酷い点数を取ると、親は「何だ!この点数は!!」と怒り、子供に対し延々と説教をする。初めのうちは我慢していた子供も、だんだんそれに耐えられなくなり、「ごちゃごちゃうるさいんじゃ!」と反発すると、親は「これぐらい(の説教は)普通だ!」「どこの親でもみんな言うわ!」と言い返す、なんてのはよくあるパターンではないでしょうか?では、子供がテストで酷い点数を取ると親が延々と説教するのは「普通」か?と聞かれれば、かなり疑問に感じる方も多いのではないでしょうか?(私個人としては、勉強をサボって酷い点数ならば、サボったことに対して説教するのはいいと思いますが、ちゃんと勉強したけど酷い点数の場合、結果に対して説教するのは子供に酷な気がします。その「酷い点数」というのも、あくまで相対的なものに過ぎません)実際、酷い点数をとったことに対して説教するのが「普通だ!」と言う親は、本当にそれが普通かどうか統計を取って調べたわけではないでしょう。その「普通」は単なる思い込みであって、決して「普通」ではありません。

 「普通」という言葉を安易に使うのはいただけません。「普通」という言葉を安易に使う人には、責任逃れの意識が少なからずあります。「他の人もやって(言って)いるのだから、自分がそれをする(言う)のもいいんだ」という意識です。例えば、ゲーム機やスマホが欲しくてしょうがない子供は「友達はみんな持ってる!」「今時、持ってるのが普通だ!」と言って親にねだります。では、その友達が自殺したら、その子供も自殺するのでしょうか?あるいは、そういう子供の要求に対し、「ゲーム機やスマホくらい、買ってあげるのが普通」という勝手な思い込みで安易に買い与える親も思考停止してしまっています。その結果、子供がゲームやネット中毒になってしまった場合、その責任は買い与えた親にあります。「友達はみんな持っているって言うし~」なんて関係ありません。あくまで「自分の子供にとって」ゲーム機やスマホを買い与えるのが妥当かどうか、買い与えた場合のリスクを考えた上で、自分自身で判断すべきです。

 こらからの時代は価値観が多様化して相対化していきます。「平均」は存在しても、「普通」なんてものは存在しなくなります。あるのは主体性と他者との個人的関係性のみ、「普通は~」なんて言っていると、誰にも話を聞いてもらえません。自分の考えで自分の言葉で伝えない限り、決して相手には届きません。

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