時事ネタ

2018年8月 2日 (木)

未だに根深い女性差別について

 「今一番ホットな大学は?」間違いなく東京医科大学でしょう。官僚の息子の裏口入学問題に加え、今回明るみになった女子受験生に対する一律減点措置。人権意識の欠片もないですね。これのどこが「公益」法人なのやら。他の私立も、叩けばホコリが出てくるのではないでしょうか?私の経験上、はっきり言って、女子の方が圧倒的に優秀です。基本的に女子は真面目で男子は不真面目です。女子は男子みたいにズルしませんし、男子みたいにすぐに泣きごと言いません。これまで一体どれほどの女子の才能が、時代錯誤の差別主義者によって潰されてきたのか。

 ただ、この問題の本質は、個別の大学の倫理どうこうよりも、現在の入試制度において公平性を担保する仕組みができていないことです。教育内容に関して公権力が介入できないよう、大学には幅広い自治権が認められており、どういう生徒を入学させるかに関しても、ある程度の裁量が大学には認められています。もっとも、今回のことを受けて、政府は各大学に対し、採点基準や生徒の個別の得点を可視化することを義務付ける流れに進むでしょう。もし、医学部に合格できず、医師になることを断念した女性の方がいれば、今からでも再挑戦する価値はあるのではないでしょうか?本当は合格点に達していたのかもしれませんよ。人生100年時代、妥協して無難な人生を送るよりも、後悔のないように、やりたいことをやった方がいいと思います。

2018年7月30日 (月)

マジで勉強しておいた方がいいと思った

 昨日の台風と少し前の西日本豪雨、そして東日本大震災、日本はつくづく自然災害が多いなあと思うと同時に、「もしかして日本、マジでなくなるんじゃない?」という悪寒が頭をよぎりました。前に草彅剛さん主演の『日本沈没』という映画がありましたが、ああいう状態がリアルに想像できてしまうぐらいに災害が起こりまくっている状態です。西日本豪雨のときに起きた水不足、もしあの豪雨の規模がもう少し大きければ、水不足状態が長期間続き、人々が水を奪い合って殺し合いをするような、まるで『北斗の拳』のような世界になっていたかもしれません。自然に対して人間はあまりに無力です。

 国の借金が1000兆円を超え、更に社会保障費の負担が増え、未だに不景気が続く中、いつ紙幣(日本銀行券)がただの紙切れになるか分かりません。「日本がデフォルトするわけがない!」専門家はそう言いますが、私は経済に関しては無知ですが、常識的に考えて明らかにヤバいでしょ。

 グローバル化が進み、仮想通貨が普及する中、共通言語の英語さえ話せれば、日本に住む必然性はありません。国がいくら道徳教育に力を入れて愛国心を植え付けようとも、命あっての物種、老人はともかく、若い人は日本と心中する必要は全くありません。若い人は、もしもの場合を想定して、教養を身に付けられるうちに身に付けておいた方がいいです。金(円)も物も、持ってても無意味です。教養といっても別に学校の勉強に限った話ではありません。生きていくために必要なことは何か?自分で考えて自分で決めて学んでいけばよいです。あとは体力。男は体を鍛えて、最低限、自分と自分の大切な人を守れるぐらいにはしておいた方がいいです。

 「日本が沈没なんてするわけない!」原発をつくるとき、学者たちは「事故なんて起きるわけがない!」と言い切っていましたが、原発事故が起きたとき、学者たちはみな「想定外」だと言いました。。「日本がデフォルトするわけがない!」と言い切る学者たちも、実際にデフォルトが起きたら「想定外」だと言うでしょう。マルクス曰く「すべてを疑え」です。

2018年7月20日 (金)

孤独について

 少し前のことですが、新幹線内で男女3名が刃物で殺傷される事件が起きました。容疑者は22歳の男で、動機は「誰でもよかった。むしゃくしゃしてやった」とのこと。容疑者は以前に、「自分は価値のない人間だ。自由に生きたい。それが許されないのなら死にたい」などと話していたそうです。こういうセリフを口に出すということは、本音では誰かに認めてもらいたかったのでしょう。それを果たすのが親の役割なのですが、事件後の容疑者の親族のコメントを聞いていると、まるで他人事のよう。誰か一人でもこの容疑者を無条件に認めてくれる人がいれば、この事件は起こらなかったんじゃないかという気がします。以前の秋葉原殺傷事件と共通しているのは、加害者の孤独です。こういう事件を「一部の異常者が起こした犯罪」と認識している限りは、第二、第三の事件を未然に防ぐことはできないでしょう。

 私の経験上、客観的に見て明らかに精神状態がおかしい子供(ずっとイライラしていて、異性のことや性的なことばかり話していたり、同級生の悪口ばかり言っていたり、「世の中の奴ら全員死ねばええねん!」などと不穏当なことを言っていたり)に共通しているのは、親が子供の感情を無視して子供に(その子供のレベルに合っていない)勉強を無理強いしていることです。こういう子供は親の愛情を感じられず、他者に愛情を求めます。不特定多数の男子と関係をもったり、ホストにはまったりする女子がその典型です。本人はそれが破滅的な行為だと分かっていても、男の優しさが下心ありきだと分かっていても、刹那的でも承認が得られるからそれを止められません。親に必要なのは、子供に対する絶対的な肯定、つまり、「何があっても、私はお前を愛しているよ」ということを子供に伝え続けることです。あるいは無言で抱きしめてあげること。親の愛情を感じられている子供は、道を踏み外すことはありません。実際、成績のいい子供のご家庭は、家族仲が非常に良いです。

2017年10月 6日 (金)

勝手に期待を押し付ける人たち

 つい先ほど、ノーベル文学賞を日系イギリス人のカズオ・イシグロさんが受賞したとの報道がありました。イシグロさんのことは全く存じ上げませんでしたが、あの『わたしを離さないで』の原作者とのこと。毎年この賞の発表が近づくたび、「村上春樹さん、今年こそ受賞なるか!」という報道が大々的になされ、発表直前には「ハルキスト」と呼ばれる村上さんの熱狂的ファンや村上さんの高校の同窓生が集まって固唾を飲んで発表を見守る、そして村上さんが選ばれなかったと知るや「はぁ~」とため息をつく、そういうシーンがもう十年ほど続いています。村上さん本人が望んでいるかどうかも分からない賞を勝手に期待して、受賞しなかったと知るや勝手に落胆し、「来年こそは、期待しています!」と勝手に期待する人たち、そしてそれを全国に放送するテレビ、ちょっと理解できない。「あんたら、自分の人生ないの?」と思ってしまう。

 世の中には子供に過剰期待をする親がいます。子供が望んでいないのに勝手に子どもの目標を定め(「~校に合格しろ!」「最低でも~大ぐらいは卒業して、一流企業に入れ!」「医者になれ!」「弁護士になれ!」など)、子供が結果を出せないことに対して「なんでこんな簡単な問題も解けないんだ!」と怒ったり落胆したりして子供を傷つける親。そういうことが重なった結果、子供から「そんなに偉そうに言うなら、お前がこの問題解いてみろ!」「そんなに良い大学に行きたきゃ、自分が今から勉強して行けばいいやん」「子供にテメーの夢乗せるな!」と反論される羽目になります。

 念のために申しておくと、親が子供に期待すること自体は全く問題ありません。そりゃ子供が努力して何かで結果出せたら、親としてこんなに嬉しいことはありませんから。ただ問題なのは、それを子供に押し付けてしまうことです。親の期待に応えられる子供もいますが、そうでない子供は気の毒です。親にできることは結局、子供の世界を広げてあげること、様々な選択肢を子供に与えてあげることではないでしょうか?そして子供を頑張らせたいのであれば、努力する姿は尊いと、親が自分の生き様で示すしかありません。

2017年7月27日 (木)

いじめについて

 茨城県取手市で中3女子がいじめを苦に自殺したとされる件で、学校と教育委員会の対応に批判が殺到しています。報道によると、少女がいじめの事実を記載した日記帳や同級生によるいじめの目撃証言があったにもかかわらず、学校と教育委員会はいじめの事実をずっと認めてこなかったとのこと。今回の件も含め、これまでのいじめ自殺報道から明らかなのは、学校や教育委員会は全く頼りにならないということです。

 学校は基本的にいじめに対応できません。いじめは基本的に無形的方法(暴力ではなく、無視や陰口など)によって行われるため、立証がしにくいのに加え、教師は警察と異なり犯罪捜査の素人なので、発覚するのが難しいのです。加えて、いじめの明確な証拠がない段階で下手に加害者を問い詰めようものなら、加害者の親に「証拠もないのに学校にいじめっ子扱いされた!」と教育委員会に訴えられかねません。教師も正直なところ、「日常の激務で手一杯で、いじめ問題にまで手が回せない」というのが本音ではないでしょうか?また、仮にいじめの事実が認められたとしても、日本では加害者の人権ばかりが偏重されているため、加害者に対し厳しい罰を課すことはできません。たとえ義務教育の公立の小・中学校であっても、「いじめをしたら即退学」ぐらい厳しい罰を課さない限り、いじめはなくならないでしょう。

 今回のケース、いじめの原因はおそらく嫉妬でしょう。被害者は育ちの良さそうな美人で、おまけにピアニストを目指していたそう。本人に全く落ち度がなくても、勝手に嫉妬して敵意を向けてくる人間は一定数います。これは子供の世界に限った話ではありません。子供はなるべく「そんなの」と関わらないようにすると同時に、なるべく他人の嫉妬を買わないように振る舞いに気をつけるしかありません。

 それでももし、自分の子供がいじめの標的にされたら?いじめは発覚しにくいので、親は普段から子供に対し、「学校で何か嫌なことがあれば、すぐに私達に言うんだよ」ということを徹底させると同時に、なるべく子供の変化に敏感になっておかねばなりません。いじめの疑いが出れば、まずは証拠集め、子供にいじめ現場を隠し撮りさせ、できれば他の生徒の証言も集めておくこと。それらの証拠を元に、まずは学校に相談し、それでも改善されないようであれば、学校に行かせないようにするしかありません。義務教育の場合、いじめをするような倫理なき猿でも退学にすることはできません。今はもう、「勉強に学校ありき」という時代ではありません。学校に行かなくてもネットを活用すればタダでいくらでも勉強できます。あと、集めた証拠を元に、学校と猿の親に対して民事訴訟を起こして損害賠償請求できます(正直、学校にいじめの責任を負わせるのは酷な気がしますが、法律上そうなっているので、利用できるものは利用しましょう)。それで得た賠償金を教育資金に回せばよいでしょう。

2017年7月 3日 (月)

シンギュラリティを迎えるに当たって

 最近よく話題に上がるシンギュラリティ(人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事)。シンギュラリティによってそれまで人間が担っていた知的労働を人工知能(AI)が代わりに行うようになり、結果、ホワイトカラーの失業者が大量に生まれる、そういう未来予想がよくなされています。先日、NHKで『人工知能 神か悪魔か』という番組が放送されました。将棋ではAIが名人に勝利し、投資会社ではAIが株式売買を行い、韓国の政治ではAIが政策判断を行い、アメリカの司法ではAIが被告人の再犯率を予測して刑期を決定する、もうすでにAIが我々の日常に深く関わってきているのです。AIによって仕事を奪われるホワイトカラーが大量に生まれるでしょうが、それはその仕事を選んだ人の自己責任です。仕事を奪われないようにするには、創造的になるしかありません。AIができるのはあくまで事務処理だけ、何かを創造するのは人間にしかできません。既存の知的労働をAIにどんどんさせ、余った労働力を創造的なものに注げば、人類はより発展できるでしょう。

 では「創造的になるには、どうすればいいんだ?」ということになりますが、結局、勉強するしかないのではないでしょうか?「独創的」とか「個性的」と言われる人はみな、例外なく非常にたくさん勉強しています。新しい発見をした物理学者や化学者はそれまでさんざん物理や化学を勉強していますし、有名な作曲家は例外なくクラシックやらジャズやらあらゆるジャンルの音楽を勉強していますし、有名な画家は美大でたくさん絵を学んでいますし、有名な作家や作詞家はあらゆる古典に通じています。無からは何も生まれません、結局は勉強なんです。ただ、これまでのような「高学歴でさえあれば、高収入が得られる」という図式はもはや成立しません。これからは学歴なんかよりも、子供自身が自分と向き合い、「自分のしたいこと」をなるべく早く見つけて、そこに情熱を注ぎこんでいかなければなりません。

 シンギュラリティを迎えて劇的に変わると予想されるのが医療です。AIにより医療技術が飛躍的に向上し、人間の寿命が100歳を超える未来がそう遠くないそうです。そうなると、勉強に対する姿勢も変えなければなりません。現役か、浪人かなんて区別は全く無意味、何年かかろうが、ゆっくりでもいいから自分の進みたい方向へ進むべきでしょう(ただし、親に経済的に依存できるのは20歳まで)。無理して学力的に合わない学校で頑張る必要もありません。これは子どもに限った話ではなく、例えば、医師を志望していたが挫折し、不本意な道を歩いている、そういう人はまた勉強を始めればいいのです。勉強が苦にならない範囲で。それは結婚してから、あるいは子供を産んでから、あるいは定年退職してから、そこからでも遅いことはありません。なんせ人生100年ですから。

2016年5月19日 (木)

違法性と信用の話

 先日パナマ文書が公開され、日本の大手企業や有名実業家がタックスヘイブンを利用して節税していることが明らかとなりました。釈明に追われた当事者は、こぞって「違法性はない」と開き直っています。また、東京都知事の舛添要一さんが税金でファーストクラスに乗ったりスウィートルームを利用したり公用車を使って別荘通いしていた点について「違法性はない」と開き直っています(現在は違法性の「ある」別の疑惑も出ています)。日本は法治国家なので、法律に禁止されていないことであれば何をやっても罰せられないのが基本です。なので、確かに違法でない以上、罰することや追徴課税を課すことはできません。しかし、これに納得できる国民はいないでしょう。皆きっちり納税している中、実質的に脱税をしている連中が見逃されていれば国民の間に不公平感が増し、ますます勤労意欲ひいては納税意欲を失くしていくことになるでしょう。倫理的にどうなの?と問われているにもかかわらず「違法性はない」としか答えられない企業や人物は信用を失い、その内消えていくでしょう。既に不買運動も始まっているようです。

 教育業界も例外ではありません。模試を受けただけの生徒を合格者に含めていたことが判明し、公正取引委員会により勧告処分を受けた某大手予備校、本を注文しただけの人や送迎バスに乗っただけの人、模範解答を請求しただけの人も合格者にカウントしていたことが判明し、同様の処分を受けた司法試験予備校、途中でやめた人や体験授業を受けただけの人、夏期講習を受けただけの人も合格者にカウントしている塾、15分~30分ほど「個人契約はだめですよー」「挨拶はきっちりしましょうねー」などの説明をしただけで「わが社が責任をもって研修を行い、教えるプロに成長させました」と言う家庭教師派遣会社(どのコースに頼んでも派遣される教師は同じです)、「生徒」や「研修」の定義次第でどうとでも解釈できるため、こぞって「違法性はない」と開き直ります。そういう倫理観なき会社は信用を失い、淘汰されていくことでしょう。

 とある有名私立の話です。以前、一部の私立が合格実績を上げるために有名私大の推薦枠を成績下位の生徒に配分していると書きました(寄付金と推薦枠配分の因果関係については不明です)。しかし「人の口に戸は立てられぬ」もので、この不公平な配分が生徒や保護者の不信感を招き、結果、生徒達の勉強意欲を阻害し、合格実績の低下や志望者数の減少を招いているようです。合格実績を上げるには、下位の生徒に推薦枠を与える方が確かにコスパはいいでしょうが、人の感情を全く無視したこういうやり方に不信感を持たれるのは容易に想像できるはずなのですが。

 かつて儒家は法家を「ルールをつくれば、人々は『ルールさえ守っていれば何をやってもいい』と思うようになり、倫理に外れた行為を行っても恥じることがなくなる」と批判しましたが、今まさにそうなっている通りです。もっとも、法家は儒家を「モラルに任せたら結局ずるがしこい奴だけが得をし、正直者は損をする。だから法(ルール)で不公平がないようにしなければならない」と反論しています。これもまた妥当です。結局、コンプライアンスも倫理観もどちらも必要だということです。

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