時事ネタ

2017年10月 6日 (金)

勝手に期待する人たち

 つい先ほど、ノーベル文学賞を日系イギリス人のカズオ・イシグロさんが受賞したとの報道がありました。イシグロさんのことは全く存じ上げませんでしたが、あの『わたしを離さないで』の原作者とのこと。毎年この賞の発表が近づくたび、「村上春樹さん、今年こそ受賞なるか!」という報道が大々的になされ、発表直前には「ハルキスト」と呼ばれる村上さんの熱狂的ファンや村上さんの高校の同窓生が集まって固唾を飲んで発表を見守る、そして村上さんが選ばれなかったと知るや「はぁ~」とため息をつく、そういうシーンがもう十年ほど続いています。村上さん本人が望んでいるかどうかも分からない賞を勝手に期待して、受賞しなかったと知るや勝手に落胆し、「来年こそは、期待しています!」と勝手に期待する人たち、そしてそれを全国に放送するテレビ、ちょっと理解できない。「あんたら、自分の人生ないの?」と思ってしまう。

 世の中には、子どもに過剰期待をする親がいます。子供が望んでいないのに勝手に子どもの目標を定め(「~校に合格しろ!」「最低でも~大ぐらいは卒業して、一流企業に入れ!」「医者になれ!」「弁護士になれ!」など)、子供が結果を出せないことに対して「なんでこんな簡単な問題も解けないんだ!」と怒ったり落胆したりして子供を傷つける親。そういうことが重なった結果、子どもから「そんなに偉そうに言うなら、お前がこの問題解いてみろ!」「そんなに良い大学に行きたきゃ、自分が勉強して行けばいいやん」「子供にテメーの夢乗せるな!」と反論される羽目になります。親が子供に期待するのは当然、問題なのは、それを子供に押し付けてしまうことです。夢や目標はあくまで本人が決めること、親はそれを支えるべきです。親の期待に応えられる子供もいますが、そうでない子供は気の毒です。

 もっとも、「親は何も口を出すな」と言っているわけではありません。例えば子供が宿題をやっていなかったり、宿題の答えを丸写ししたりしている場合は大いに𠮟ってかまいません。それは、その子が約束を破ったり嘘をついているからです。子供が自分の勉強道具を管理していなかったり、勉強部屋を散らかしまくっている場合も、叱ってかまいません。それは、その子がだらしないからです。要するに、親は子供に対して、人としての最低限の常識やモラルを教えさえすればいいのです。それ以上のことは必要ありません。宿題をやっていなかったり答えを丸写ししている理由が単純にサボリなら叱って遊び道具を処分すればいいですし、理由がその子にとってその勉強のレベルが「キツイ」「これ以上頑張れない」のであれば、無理をさせず、子どもの学習環境のレベルを落とすことです。そこで「甘いこと言うな!根性を出せ!」などと言ってしまうと、子供はグレてしまいます(気の弱い子であればうつ病にかかるか、下手したら自殺しかねません)。その子のレベルに合わないことをさせるというのは、普段全然運動しない人に、「今からフルマラソンしろ!」と言っているのと同じことです。できないものはできない。普段運動しない人でも、「とりあえず、まずは1kmだけ走ってみようか」というところからなら、始められます。基本的にそれと同じことです。

2017年7月27日 (木)

いじめについて

 茨城県取手市で中3女子がいじめを苦に自殺したとされる件で、学校と教育委員会の対応に批判が殺到しています。報道によると、少女がいじめの事実を記載した日記帳や同級生によるいじめの目撃証言があったにもかかわらず、学校と教育委員会はいじめの事実をずっと認めてこなかったとのこと。今回の件も含め、これまでのいじめ自殺報道から明らかなのは、学校や教育委員会は全く頼りにならないということです。

 学校は基本的にいじめに対応できません。いじめは基本的に無形的方法(暴力ではなく、無視や陰口など)によって行われるため、立証がしにくいのに加え、教師は警察と異なり犯罪捜査の素人なので、発覚するのが難しいのです。加えて、いじめの明確な証拠がない段階で下手に加害者を問い詰めようものなら、加害者の親に「証拠もないのに学校にいじめっ子扱いされた!」と教育委員会に訴えられかねません(ろくに躾をしてこなかったくせに、悪知恵だけはつけています)。教師も正直なところ、「日常の激務で手一杯で、いじめ問題にまで手が回せない」というのが本音ではないでしょうか?また、仮にいじめの事実が認められたとしても、日本では加害者の人権ばかりが偏重されているため、加害者に対し厳しい罰を課すことはできません。たとえ義務教育の公立の小・中学校であっても、「いじめをしたら即退学」ぐらい厳しい罰を課さない限り、いじめはなくならないでしょう。

 もし自分の子供がいじめのターゲットにされたら?いじめは発覚しにくいので、親は普段から子どもに対し、「学校で何か嫌なことがあれば、すぐに私達に言うんだよ」ということを徹底させると同時に、なるべく子供の変化に敏感になっておかねばなりません。いじめの疑いが出れば、親はまずは学校に相談し、それでも改善されないようであれば、そのときは学校に行かせないようにするしかありません。今はもう、「勉強に学校ありき」という時代ではありません。学校に行かなくてもネットを活用すればタダでいくらでも勉強できます。

2017年7月 3日 (月)

シンギュラリティを迎えるに当たって

 最近よく話題に上がるシンギュラリティ(人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事)。シンギュラリティによってそれまで人間が担っていた知的労働を人工知能(AI)が代わりに行うようになり、結果、ホワイトカラーの失業者が大量に生まれる、そういう未来予想がよくなされています。先日、NHKで『人工知能 神か悪魔か』という番組が放送されました。将棋ではAIが名人に勝利し、投資会社ではAIが株式売買を行い、韓国の政治ではAIが政策判断を行い、アメリカの司法ではAIが被告人の再犯率を予測して刑期を決定する、もうすでにAIが我々の日常に深く関わってきているのです。AIによって仕事を奪われるホワイトカラーが大量に生まれるでしょうが、それはその仕事を選んだ人の自己責任です。仕事を奪われないようにするには、創造的になるしかありません。AIができるのはあくまで事務処理だけ、何かを創造するのは人間にしかできません。既存の知的労働をAIにどんどんさせ、余った労働力を創造的なものに注げば、人類はより発展できるでしょう。

 では「創造的になるには、どうすればいいんだ?」ということになりますが、結局、勉強するしかないのではないでしょうか?「独創的」とか「個性的」と言われる人はみな、例外なく非常にたくさん勉強しています。新しい発見をした物理学者や化学者はそれまでさんざん物理や化学を勉強していますし、有名な作曲家は例外なくクラシックやらジャズやらあらゆるジャンルの音楽を勉強していますし、有名な画家は美大でたくさん絵を学んでいますし、有名な作家や作詞家はあらゆる古典に通じています。無からは何も生まれません、結局は勉強なんです。ただ、これまでのような「高学歴でさえあれば、高収入が得られる」という図式はもはや成立しません。これからは学歴なんかよりも、子供自身が自分と向き合い、「自分のしたいこと」をなるべく早く見つけて、そこに情熱を注ぎこんでいかなければなりません。

 シンギュラリティを迎えて劇的に変わると予想されるのが医療です。AIにより医療技術が飛躍的に向上し、人間の寿命が100歳を超える未来がそう遠くないそうです。そうなると、勉強に対する姿勢も変えなければなりません。現役か、浪人かなんて区別は全く無意味、何年かかろうが、ゆっくりでもいいから自分の進みたい方向へ進むべきでしょう(ただし、親に経済的に依存できるのは20歳まで)。無理して学力的に合わない学校で頑張る必要もありません。これは子どもに限った話ではなく、例えば、医師を志望していたが挫折し、不本意な道を歩いている、そういう人はまた勉強を始めればいいのです。勉強が苦にならない範囲で。それは結婚してから、あるいは子供を産んでから、あるいは定年退職してから、そこからでも遅いことはありません。なんせ人生100年ですから。

2016年5月19日 (木)

違法性と信用の話

 先日パナマ文書が公開され、日本の大手企業や有名実業家がタックスヘイブンを利用して節税していることが明らかとなりました。釈明に追われた当事者は、こぞって「違法性はない」と開き直っています。また、東京都知事の舛添要一さんが税金でファーストクラスに乗ったりスウィートルームを利用したり公用車を使って別荘通いしていた点について「違法性はない」と開き直っています(現在は違法性の「ある」別の疑惑も出ています)。日本は法治国家なので、法律に禁止されていないことであれば何をやっても罰せられないのが基本です。なので、確かに違法でない以上、罰することや追徴課税を課すことはできません。しかし、これに納得できる国民はいないでしょう。皆きっちり納税している中、実質的に脱税をしている連中が見逃されていれば国民の間に不公平感が増し、ますます勤労意欲ひいては納税意欲を失くしていくことになるでしょう。倫理的にどうなの?と問われているにもかかわらず「違法性はない」としか答えられない企業や人物は信用を失い、その内消えていくでしょう。既に不買運動も始まっているようです。

 教育業界も例外ではありません。模試を受けただけの生徒を合格者に含めていたことが判明し、公正取引委員会により勧告処分を受けた某大手予備校、本を注文しただけの人や送迎バスに乗っただけの人、模範解答を請求しただけの人も合格者にカウントしていたことが判明し、同様の処分を受けた司法試験予備校、途中でやめた人や体験授業を受けただけの人、夏期講習を受けただけの人も合格者にカウントしている塾、15分~30分ほど「個人契約はだめですよー」「挨拶はきっちりしましょうねー」などの説明をしただけで「わが社が責任をもって研修を行い、教えるプロに成長させました」と言う家庭教師派遣会社(どのコースに頼んでも派遣される教師は同じです)、「生徒」や「研修」の定義次第でどうとでも解釈できるため、こぞって「違法性はない」と開き直ります。そういう倫理観なき会社は信用を失い、淘汰されていくことでしょう。

 とある有名私立の話です。以前、一部の私立が合格実績を上げるために有名私大の推薦枠を成績下位の生徒に配分していると書きました(寄付金と推薦枠配分の因果関係については不明です)。しかし「人の口に戸は立てられぬ」もので、この不公平な配分が生徒や保護者の不信感を招き、結果、生徒達の勉強意欲を阻害し、合格実績の低下や志望者数の減少を招いているようです。合格実績を上げるには、下位の生徒に推薦枠を与える方が確かにコスパはいいでしょうが、人の感情を全く無視したこういうやり方に不信感を持たれるのは容易に想像できるはずなのですが。

 かつて儒家は法家を「ルールをつくれば、人々は『ルールさえ守っていれば何をやってもいい』と思うようになり、倫理に外れた行為を行っても恥じることがなくなる」と批判しましたが、今まさにそうなっている通りです。もっとも、法家は儒家を「モラルに任せたら結局ずるがしこい奴だけが得をし、正直者は損をする。だから法(ルール)で不公平がないようにしなければならない」と反論しています。これもまた妥当です。結局、コンプライアンスも倫理観もどちらも必要だということです。